法金剛院  平安時代  池泉舟遊式
京都市右京区花園扇野町49  電話:075−461−9428
  創建は1130年で、鳥羽上皇の中宮待賢門院璋子とその娘上西門院とで池の東西に阿弥陀堂、池の南には九体阿弥陀堂、他に三重塔、宸殿を建て、さながら極楽浄土を再現した。なお、九体阿弥陀堂は平安時代には盛んに作られ約30堂あったそうだ。しかし現存するのは京都府と奈良県の県境にある浄瑠璃寺だけである。作庭は仁和寺系の林賢と静意の石立僧による。
  ここの池は東西約140m、南北約150mの大池泉であった。現在はかつての堂塔を偲ぶしかないが池泉、州浜の曲線、荒磯、それに巨大な滝によって平安貴族が信じた極楽浄土の庭を想像できる。

▲池泉の東部からの庭園  現在礼堂のあるところに丈六の阿弥陀堂があった

▲池泉西より見た荒磯の様  

▲池泉の東側より見た荒磯  荒磯の手前側に鑓水が流れ込む
  池泉の東側にはもう一つの阿弥陀堂と中宮待賢門院の宸殿があった  

▲池泉の西より  手前の玉石敷きの州浜は復元したもの(実際の南側の汀は現在の花園駅の辺り)      池の南には南御堂(九体阿弥陀堂)が建てられさながら極楽浄土であった。

▲有名な青女の滝  平安時代の滝は「龍門瀑」ではないが4mにもなる
  ちなみに青女とは淮南子にでてくる霜・雪を降らす女神または大女とある
  滝をこのように異常に大きくしたのは、滝即不動明王の信仰があったから、とのこと

▲青女の滝から池泉までの鑓水
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