衣斐家の庭園
兵庫県西宮市殿山町  非公開

 衣斐家は重森三玲の足跡をたどる際の重要なパトロンの一人である。若き芸術家が文化活動をしても、直ちに実用上の利益を上げないために、文化活動においては理解者が重要である。
  パトロンは金銭的な援助よりも新しい芸術活動に対する理解を示し、勇気付けることである。可能ならば芸術作品を購入したり、友人や縁者に紹介することである。重森の場合は衣斐家、斧原家(同じ町内)、四方家などである。
 衣斐家の場合は昭和33年に作った庭が本邸に七五三式枯山水があったが、惜しくも震災にて失われてしまった。しかし昭和38年に別邸に作った廻遊式枯山水庭園は洋館とともに奇しくも震災を逃れた。
 別邸の庭は玄関前から庭園全体を青板小石による葺石が庭園を回遊するように作られている。苑路の中央には丸みのある青石や角張った青石が組まれている。小庭園ながら密度が濃い岩組みなので、蛾々とした深山幽谷の趣がある。庭園は金閣寺や銀閣寺のような大庭園を連想しがちであるが、個人住宅でもコンパクトで密度の高い庭であれば趣の深いものになる。いや、これこそが本来の日本庭園というべきか。



▲門から玄関と本邸へのアプローチ

本邸への道と前にはの苑路

▲洋館入り口からの景

自由なデザインの敷石

▲メインの石組みは峨々とした趣だ

▲正面右からの景
 
▲石組み                     ▲本邸への苑路

▲三尊石

▲観賞する角度により新しい造型が楽しめる
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