伊吹山文化資料館展(主催:米原市教育委員会、写真展と講演会は中田勝康)
写真展:9月中旬〜10月31日
講演会:10月10日(金)
ただし、当講座は年間登録制なので、中田勝康のみの講演会への参加は厳しい状態です。
講演会の要旨
 説明の骨子は以下の@日本庭園を5つの系譜 と A日本庭園の抽象化のプロセス ですが、概要は以下のようになります。

@日本庭園を5つの系譜
 日本庭園は時代の宗教の影響を受けた造形です。大別しますと5つの系譜になりますが、各宗教の影響を受けた原点といえる庭園と全国にある代表的庭園をPPTで示します。特に滋賀県の庭を特筆いたします。

日本庭園を俯瞰した5つの系譜図をPDFで示しますので、クリックしてください。
「日本庭園の系譜」

上記系譜図は詳細区分を記載すると煩雑になるので、各系譜の概要には詳細区分の内容を記載した。
また、下記の各系譜の庭園例は詳細区分を白抜き囲み数字で示した。

各系譜の庭園例を以下のPDFに示しますので、クリックしてください。
『各系譜の庭園例」
A日本庭園の抽象化のプロセス
 日本庭園は自然の風景をやや抽象化した造形から次第に抽象化度を上げ、仏教思想の物語を視覚化したた造形に発展いたします。やがて、高度に抽象化された龍安寺庭園のような庭が室町時代末期に完成いたします。その後、江戸時代にあっては小堀遠州の影響下で、現代においては重森三玲によって、より抽象化された造形が生まれます。即ち自然の風景や物語の視覚化による造形はいわば「象徴庭園」ですが、小堀遠州以降は次第に純粋に抽象化された造形生み出していきます。

日本庭園の抽象化度の変遷については、以下のPDFに示しますので、クリックしてください。
「日本庭園の抽象化度」

各抽象化度の庭園事例を以下のPDFに示しますので、クリックしてください。
「各抽象化度の庭園例」
写真展の概要
 滋賀県は京都府に次いで庭園の数は多いが、特に湖北地方には見るべき庭が多い。その例を以下の写真を例に示す(写真サイズは約4畳の大きさで、庭の中に入っているような臨場感が楽しめます)。

京極家庭園跡(米原市):戦国武将の庭の先駆け  京極家の系図 京極氏系図(PDF)


福田寺(米原市):逆遠近法の石組みのため奥にある三尊式の枯滝が大きく感じられ、そこ方流れ落ちる滝は奔流となって鑑賞者に迸る。


青岸寺(米原市):この圧倒的な石組に感動。近景、中景、遠景と意識した遠近法の理にかなった構成力。そして鋭い稜線の石を集めた観る者を圧倒する刺激的な造形力。一方手前には苔地の涸れ池が息抜きとして備わっている、心憎いまでの繊細さを兼ね揃えています。

備考
@当庭の地理性について
 手前の池中には(前景)鶴島と亀島および蓬莱山を兼ねたと思われる荒々しい石組みがある。その背後(中景)のやや上に、山畔を利用した不動の滝がある。更にその奥には山畔に土盛りをして三尊式の石組みがある。
 このような奥行がある地形を利用し、かつ高さ方向をも意識した構成になっている。そのため、遠近法の効果は、より一層効いてくる。

A彦根城庭園の楽々園との関係
 彦根城の楽々園の石組みは、当初は青岸寺の庭にあったものである。しかし、1677年彦根城に庭を造る際に彦根藩主4代直興がこの庭をそのまま持ち去ってしまった。


楽々園(彦根市):上記写真は展示いたしません。
 亀頭石状の枯滝が落ち、滝壺には激流の凄まじさを示す造形があり、その上流には虚空高く石橋が組まれている。石橋の添え石は極端に高く特徴的である。さらにその上の峰には蓬莱連山が連なり山頂には須弥山石があたりを睥睨している。このような深山からの水の流れの風景を劇的に構成している庭園は他にあるのであろうか。
 この滝の背後に回ってみると、地上面に石垣で積み上げてあることがわかる。一般的にはこのような枯滝を作る場合は、自然の山畔を利用するのであるが、当園では青岸寺にあった旧態をそのまま維持するために大きな築山を構築したことが解る。

楽々園(彦根市)を滝の正面から見ると、物凄い迫力に圧倒される。


玄宮園(彦根市)
 とにかく見どころの多い庭である。大名庭園とは思われないオリジナルな造形が随所にある。もちろん鶴亀蓬莱の形はとっているが、はるかにそのような象徴庭園の領域を超えていると思う。中でも私が最も好きなアングルは七間橋から撮った上記アングルです。左には蓬莱山を象徴する鶴鳴渚(かくめいしょ)といわれる島にある鶴を象徴した石や護岸の石組、池中に散在する岩島群、沿路にある立石(右端)が見えます。これらの石は独立して配置されているが相互の関係性を意識している自由な石組みである。何物をも象徴していない自由な石の群が醸し出す構成が秀逸であると思います。
 湖面に映った石組みは「水の龍安寺」とも称せましょうか。


赤田家(長浜市)
 間口と同じくらいの奥行きのある地割が特徴だ。近景に出島と岩島があり、中景には巨大な阿弥陀如来を思わせる立石があり、更に枯滝が落ちる山畔石組み、その奥にある三尊様式の石組みへと誘導されている。
比較的丸みを帯びた白みがかった石組みのため静謐な印象を受ける。目をむくようなドラマチックな造形ではないが心に沁みこんでくる造形である。枯滝、生得の滝、出島の立石(鶴出島)、亀島、三尊石、白道などと各象徴された石組みが、互いに調和している。特別に主張する造形がないところが最大の特徴といえまいか。

瑞応院(大津市・坂本):二十五菩薩来迎図
 山田恵諦天台座主と重森三玲により作られた庭。中央にある大きな石が阿弥陀如来を象徴し、前面にある勢至菩薩と観音菩薩が眷属を含めて17石ずつが組まれている。合わせて35石の聖衆来迎の物語を視覚化した造形である。苔地は雲紋状であり、軒下の延段も雲紋を表している。

初期の禅の庭の形体

永保持(多治見市):座禅石より観音堂と梵音岩(滝を飛瀑船泉という)を望む
 夢窓礎石39歳(1305年)仏国国師印可を受けて、改めて修行の旅に出た(聖胎長養)。多治見の虎渓山に入って翌年に観音堂を建て約4年間この地にいた。庭園というよりは明らかに修行の場である。


瑞泉寺(鎌倉市):1327年当地に私的な修行道場を作る。
夢窓は岩を穿ち天女洞や池を作った。


西芳寺(苔寺):座禅石
 中原親秀が1339年(65歳)夢窓を請じて西芳寺を浄土宗から禅宗に改めた。
日本庭園史に輝く名園となったが、特に上記写真の龍淵水(右側の石が座禅石)と洪隠山枯滝石組みは禅宗庭園の金字塔と言われている。上記座禅石や龍門瀑の造形は鑑賞のためではなく、修行の道場としての場であることが解る造形である。

滋賀県の名庭の旧秀燐寺・松尾神社・大通寺(含山軒)・旧汲月庭を記載いたします。


旧秀隣寺(高島市):展示写真
 室町末期になると、必要最小限度の石で空間構成をされて来る。その典型的な庭園とも言える庭である。要所要所に大きさの異なる石を配石して遠近感、高低感を醸し出している。この抽象的とも言える造形はテーマである鶴島(右)、亀島(左)、蓬莱山(中央)をほとんど感じさせないくらいである。


旧秀隣寺:上記写真の展示はしてありませんが、参考までに旧秀隣寺の写真を記載いたします
この石組による空間構成美は日本庭園の絶頂期の作品の代表といえる。


松尾神社(東近江市八日市松尾町)
 室町末期の端正な石組みによる空間構成美と桃山期の豪快な造形主義の特徴を併せ持った庭である。即ち石組みは庭園全域に布石して全体の均衡を配慮している。一方では庭石を組み合わせる技術に卓越し、石橋に分厚い石を使って造形に迫力を持たせている。


大通寺(長浜市):
当寺には含山軒・学問所跡・蘭庭の3っつの庭園がある。いずれも石組み本位の庭である。特に含山軒の庭は水平の稜線が効いた石と枯滝の立石がバランスよく組まれている。いずれの石も選び抜かれた石で東庭の由来が「長浜御坊さん」と言われ権威を持っていたことと無関係ではないと思われる。
(生い茂りすぎたサツキを剪定すれば、当庭が名園であることが自ずと浮かび上がってくると思われる)


旧汲月亭(長浜市)
当庭は曽呂利新左衛門と小堀遠州の父によって作られたとの伝承があるそうであるが三尊式の枯滝の主石とその下にある角柱のデザインは、まさに金地院の鶴島の三尊石と鶴首石の関係そのものである。このような幾何学的デザインは小堀遠州によって仙洞御所でも試みられたことがあり、興味がひかれる。


そのほかの写真に

龍門瀑シリーズとして苔寺・天龍寺・保国寺・碧巌寺・常栄寺(雪舟寺)・光前寺を展示します。

   総合TOP  ヨーロッパ紀行TOP 日本庭園TOP