春日大社 重森三玲創作の原点  非公開
  昭和9年と12年に作られた春日大社の庭は重森三玲の処女作と言っても良い。この庭を研究する事は彼の創造の秘密に迫る事になると思う。重森の畢生の大作といわれる東福寺の方丈庭園が作られるのが春日大社の庭の次で、昭和14年である。重森は春日大社といい、東福寺といい一切過去の庭をそのままコピーすることなく、まったくの独創である。

 
重森は必ずテーマを設定し、そのテーマを抽象化する。抽象化された造形は永遠にモダンである。以下に二つある庭のテーマを概略示す。テーマの抽象化こそが重森が現代日本庭園を切り開いた根幹である。
@三方正面七五三磐境の庭(昭和9年)

  ・約10m四方の平地に七・五・三・三・七と立石が組まれている。
  ・三方に建物がありいずれも廊下(現在は一部改修)から庭園が見られるようになっている。
  ・貴賓館から見るのが正面であるが、いずれの方向から見ても庭園に耐えられるようにした。
  ・中央の五石は春日大社の御祭神に因んでいる。彼は最初期の作品からテーマどりをしている。
  ・樹石合計52は春日大社の末社に因んでいる。
  ・貴賓館側には苔を植え、照り返しの対策を講じ、奥には白砂を敷いて枯山水にした。
A稲妻形遣水(昭和12年)
 ・貴賓館への門を入ったところにある、細長い地形を利用して稲妻にテーマをとった庭。
 ・遣水の庭といえばS字形の小川に清流が流れている事をイメージするが、重森は枯山水の遣水を創作した。
 ・遣水のパターをZ形にして、稲妻を表しているところも全くの独創である。春日大社の若宮は龍神を祭っていることから雷を象ったと思われる。重森はここでも象徴的なテーマを形にしている。
 ・遣水の流れる部分は後世、多用する洗出し手法で清流が流れているさまを表している。この手法が既に昭和12年に採用されていることは画期的ななことだ。

三方正面七五三磐境の庭 昭和9年(38歳) 奈良県奈良市 非公開
 昭和9年と12年に作られた春日大社の庭は真の意味で重森の処女作と言ってもよい。この庭を研究することは彼の創造の秘密に迫ることになる。重森の畢生の大作といわれる東福寺方丈庭園の5年前に作られたのが、この春日大社の庭である。テーマを持ち、そのテーマに因んだ石組をし、かつ造形も生の自然ではなく人間が感じた自然である。
 実は私は重森が作庭家として自立できたのは全国の古典庭園を実測調査し、研究をしたからだと思っていた。しかし実測調査前に作られたこの庭園には自然にはない造形、すなわち作者自身の自然が反映されている。昭和9年に春日大社に提出した重森自筆の「作庭記」を要約すると、以下のように書かれている。彼の「枯山水主義」宣言である。(重森三玲著『作庭記』春日大社藏)
・神社庭園なので上代日本の天津磐境を基本とし、全て山石を用い、立石とした。
神社であることに因みテーマを七五三とし、三方から見応えのあるようにした。
中央の五石は春日神社祭神などに因んだ。
配石の線は神社であることから直線とした。
全庭の七割を苔庭とし、前方三割を傾斜線による直線の白砂敷きとし、超自然様式にした。

驚くことに「テーマをとらえ、超自然の造形を作ること」により、芸術的庭園となることを宣言している。5年後の東福寺の庭のエッセンスがすべて含まれていると言える。例えば白砂と苔地が斜線にによって区切られていること、荒々しい石の立石、自然界には存在しない直線の配列など。
  七五三石組の手法であるが、貴賓館東庭は約10m四方の平地に、七・五・三・三・七の25石の立石が組まれている。石をX字形に組むことにより、三方のどの方向から見ても奥行きが感じられ、かつ七五三の石が手前に見えるのだ。簡素でありながら力強い立体造形が得られる。
この庭は古典に範をとっておらず、重森が抽象的な配石手法を研究していたことが解る貴重な庭である。


▲貴賓館からみた七五三磐境の庭

▲重森は芸術の庭にするため自然界にはない造形を作った。斜めに区切られたデザインは東福寺方丈の魁だ。

▲中央の岩組みは鋭い様相の石を堅固に組んでいる。七五三磐境の庭

▲貴賓室より見てへ前左側の三石

▲貴賓室より見て手前右側の七石

▲七・五・三・三・七石が10m四方の対角線上にある。各正面から見た場合奥行きと広がりがある。

▲上記写真の中心部を拡大

「稲妻形遣水の庭 昭和12年(41歳) 奈良県奈良市 非公開
  当庭は春日大社における二作目の庭である。一作目同様革新的で、遣水を大胆にデフォルメしたデザインである。この庭も重森の独創で古典庭園から範をとったものではなく、その後の彼の作品にも大きな影響を与えている。当庭の新規性はデザインのみならず工法にもある。遣水の水路は何と洗い出しによって作られていて。この工法は出島にアクセントを付けたり、彩色の効果があるため終世用いられた。なお、当初はこの遣水にポンプによって水が流されていたが、水路の劣化しているため現在は白砂による修復され、当初の姿が蘇った。

塀と貴賓館に挟まれた細長い敷地を利用した庭園で、稲妻をテーマとしている。遣水のパターンがZ型にして、稲妻を表しているところも重森の創作であるが、テーマどりの上手い重森が、春日若宮の竜神信仰に因み稲妻にテーマをとりZ型にしたのだろうか。このデザインは、抽象度合いが高いため応用範囲が広く、奥行きを感じさせる庭園として斧原家、松尾大社がある。


▲上流から見た遣水の流れ(ダブルZ型)

▲上流側の遣水の造形

▲客殿北庭(下流側)の稲妻形

▲デフォルメされた出島

▲下流側から見たダブルZ形の稲妻模様

▲自然界から切り取った明快な造形

▲貴賓館の玄関

▲春日若宮前の楠の巨木。その生命力の圧倒される
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