退耕庵「金毛窟」
千葉県夷隅町能実  茂原駅からバスで約30分
  1323年正月から1325年秋にいたる二年半、夢窓国師はこの洞窟で坐禅修行した。
  しかし1325年の春、国師51歳のとき後醍醐天皇は勅旨を派遣し、上洛を促した。しかし病気と称して「巌谷に隠れて出世を願わず」と上洛を固持。天皇は執権北條高時の力を借り、上洛を促した。国師はやむなく甲州から永保寺を経由して上洛し南禅寺に住した。超売れっ子スターを天皇、執権が追い求めるが、国師必死に逃げるも、ついに上洛せざるを得なくなった。
参考
無窓国師の遍歴について時間、空間別にまとめた

無窓国師遍歴の略歴無窓国師遍歴の地図

▲現在は大光寺  「金毛窟」は屋根の後ろの竹やぶの奥にある

▲金毛窟  洞窟の入り口は風化が激しいためコンクリートによる強化が施されている
  天井の高さは約190cm。この祠からナが寝ると穏やかな農村の風景が眺められ、自然の風景に包まれた、坐禅の場として最適である。
 
▲洞窟正面に金毛窟とある(正面から光が当たるため撮影不可) ▲水陸会?とある

▲出典は「夷隅町の文化財(改訂版)」より(正面からの採光を遮断し、ライトを側面より当てて撮影)。金の字は破壊されているが毛窟派鮮やかに彫られている。

▲「金毛窟」の並びの岩には窟が彫られ、墓になっている

▲大光寺参道を登っていくと花を捧げられたお地蔵様を見てホッとする

▲「金毛窟」の前には竹やぶが茂り、見晴らしが悪いのでやや下ったところから撮影

▲バスを降りると(農産物直売所)菜の花越しに金毛山中腹の竹やぶに「金毛窟」がある