夢窓疎石(国師)の略歴
西暦
年齢 元号 天皇
(北朝)
大別 夢窓疎石の遍歴地と事項 修行場所の環境
坐禅場 眺望
1274 0 文永11 後宇多91代 夢窓伊勢に生まれる ー  ー  ー  ー 
1278 4 弘安元 ー  天台宗 国師4歳のとき伊勢から甲州に ー  ー  ー  ー 
1283 9 ー  ー  平塩山寺で空阿に学ぶ なし やや良好 後世の庭あり
1292 18 ー  ー  奈良戒壇院で慈観律師より受戒 ー  ー  ー  ー 
1293 19 永仁元 ー  禅宗悟りへの修行 禅宗に一生を過ごすと決意。建仁寺(無隠円範)、東勝寺(無及徳詮)、建長寺(葦航道然)、円覚寺(桃渓徳悟)、建長寺(癡鈍空性)、建仁寺(無隠円範)、来朝僧の一山一寧への参堂
1300 26 正安2 後伏見93代 松島(瑞巌寺)と那須・雲巌寺に逗留 坐禅窟 良好 ー  ー 
1301 27 ー  後二条94代 再び建長寺の一山に参じ、円覚寺にも随侍したが印可得られず
1303 29 嘉元元 ー  万寿寺の仏国国師に参ず。問答するも理解できず奥州白鳥(諸説)
1304 30 ー  ー  常陸の内草山で坐禅(諸説あり) 坐禅窟? 良好 ー  ー 
1305 31 ー  ー  ・常陸国臼庭にて大悟
浄智寺の仏国国師より印可→帰省
海岸の
坐禅窟
良好 ー  海岸
1306 32 徳治元 花園95代 聖胎長養

遁走の旅
夢窓は甲斐の浄居寺上求寺 ー  やや良好 雌雄滝 ー 
1311 37 応長元 ー  龍山庵栖雲寺西沢渓谷
庵への類焼を法衣を着て巌上で坐禅し風向きを変えた
栖雲寺は坐禅石あり 栖雲寺は富士山眺望 日川渓谷に滝 ー 
1313 39 正和2 ー  仏国国師が上野・長楽寺に推挙を知り、都合7年いた甲州から、密かに富士五湖経由で駿河愛鷹山、駿河湾の多比をへて虎渓山へ脱出
1314 40 正和3 ー  多治見に永保寺観音閣建つ 坐禅石 良好 飛瀑泉 あり
1316 42 正和5 ー  東香寺に逃避(磐座からの眺望抜群) 坐禅石 良好 なし ー 
1317 43 文保元 ー  虎渓(都合4年)から上洛北山に寓す ー  ー  ー 
1318 44 文保2 後醍醐96代 執権高時の母、覚海夫人を避け土佐へ。吸江庵竹林寺作庭? なし 良好 ー  ー 
1319 45 元応元 ー  覚海要請で土佐から鎌倉に帰る
横須賀に泊船庵建つ(米軍基地)
坐禅窟あった 良好
(海印塔)
ー  眼前は海
1321 47 元亨元 ー  泊船庵建搭「海印浮図」(足掛け5年間) ー  ー  ー 
1323 49 元亨3 ー  退耕庵「金毛窟」にて(2年半) 坐禅窟 良好 ー  ー 
1325 51 2 ー  政権に翻弄
・作庭
・政治顧問
後醍醐天皇より上洛の勅使、南禅寺 ー  ー  ー 
1326 52 嘉歴元 ー  執権高時の寿福寺行きを断り、伊勢に善応寺開き、熊野、那智へ
1327 53 ー  ー  浄智寺応、鎌倉錦屏山に瑞泉寺開創 坐禅窟 遍界一覧亭
(眺望良)
あり 岩盤
1328 54 ー  ー  「遍界一覧亭」と坐禅窟、高時円覚寺請ずるも赴かず ー  ー  ー 
1329 55 元徳元 ー  やむを得ず円覚寺に住す。貿易船利益の寄進で円覚寺復興す
1330 56 2 ー  甲州の恵林寺開山清白寺西川家古長禅 あり あり
1331 57 元弘元 (光巌) 甲州より瑞泉寺に帰る。執権高時建長寺に請ずるも赴かず
1332 58 元弘2 ー  再び恵林寺に。[播磨の瑞光寺(弟子が関与か)] ー  ー 
1333 59 3 ー  北条滅亡、京都環幸、臨川寺入寺 破壊されて不明
1334 60 建武元 ー  南禅寺(南禅院)に再住 坐禅石 鎮春亭 龍門瀑? あり
1339 65 ー  後村上97代 西芳寺(苔寺)作庭
天龍寺(歴応寺)夢窓開山
坐禅石
亀山に
縮遠亭
亀頂搭
龍門瀑
龍門瀑
あり
あり
1351 77 ー  ー  夢窓臨川寺寂 破壊されてしまって不明
1397 国師没後46年目 西芳寺に倣って鹿苑寺建立 坐禅石 看雪亭 龍門瀑 あり
1489 国師没後138年目 西芳寺に倣って慈照建立 不明? 超然亭 不明 あり
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