小石川後楽園  元祖大名庭園
東京都文京区後楽1−6−6
沿革
1629年徳川御三家・水戸藩の初代頼房が三代将軍家光よりこの地を与えられ、江戸上屋敷とし、本邸と共に庭園も着工した。2代光圀も父の未完成部分を完成させた。このとき光圀は明から招いた儒学者・朱舜水の意見を聞き中国風の庭園にした。「後楽園」という名称も朱舜水が「士は天下の憂いに先んじて憂い、天下の楽に後れて楽しむ」を范仲淹(はんちゅうえん)の「岳陽楼記」から名づけた。
庭園の特徴
@構成は伝統的A名所写しB中国庭園様式が入っているC富士山形の大築山がある
庭園の内容
@鶴亀蓬莱、特に徳大寺石は目を引き、この石を中心として全体が構成されているA長寿延年B広大な敷地(70,847u)に巨大な石

▲亀島(蓬莱山)には徳大寺石と称せられる巨大な板状の石(幅2m、高さ4m)がある。
  広大な庭園であるが、この石によって印象付けられる。

▲亀が蓬莱島を背負った景   亀島と蓬莱島は巨大な板状石によって繋がっている

徳大寺石を東から望む

蓬莱山と洲浜

徳大寺石を西から望む

▲内庭

内庭の見どころは上記橋もさることながら、護岸の美しさであろう

▲西湖堤 
西湖にある石堤を模して作った(円月橋同様に水戸光圀が招いた儒者・朱舜水の指導で作られた)

▲大堰川の護岸の様

▲屏風岩  江戸時代以前ならばこれだけの巨石があればそれだけで名所になった

▲沢渡り   大堰川上流

拡大

▲通天橋から見た沢渡り、大堰川、渡月橋の景

▲清水観音堂跡の下にある石組み(竜頭石)と通天橋

▲清水観音堂跡の下にある石組み

▲通天橋と豪華な山畔石組み   江戸の大名屋敷はこのように起伏のある地形を利用

豪華な枯滝に注目

▲白糸の滝 
 大名の庭の滝は巨石により豪華なものになる。信仰のためにではなく、名所写しのため

沢渡り

▲仙人の住む洞窟。六義園の洞窟は海中にある

▲松原

▲丸屋

▲松原にある九八屋

▲6月下旬は水菖蒲の季節

▲実りの季節

▲八橋  カキツバタや藤が咲く頃が美しい

▲円月橋  水戸光圀が招いた明の儒者・朱舜水の指導で作られた

▲小盧山
 
▲陽石                             ▲陰石

入園してすぐ右側にある枯滝石組
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