久保家庭園  ワシントン・ポトマック河畔の桜のルーツ  この家にしてこの庭あり
兵庫県伊丹市東野6−48  電話:072-770-8400 
  私は住所録から調べた地図を頼りに東野の町に入った。写真でみた事が無かったので、どのようなスタイルの庭が、どのくらい大きく展開しているのかの予想が立たなかった。しかし、表札のかかった門を入り背の低い塀の奥を見ると母屋と、茶室に囲まれた空間にはそれこそ理想郷としか言いようの無い庭園が静かに佇んでいた。現当主の久保武久氏に拝観と撮影の許可を乞うと、今からでもいいですよ、とのご返事を頂いた。雄渾な石組み群が林立している。重森特有の園路に沿って歩くと、各々の岩組みが観賞できると同時に背後の岩組みと重なり合って無限の様相を楽しむ事ができる。
 このような立派な庭がなぜ伊丹の田舎にあるのであろうか。無我夢中の撮影を終わった頃から疑問が湧いてきた。日の暮れる庭に面したオフィスで以下のような桜物語を聞かしていただいた。進取の気風のある家系にしてこの庭あり、を確信した。以下は伊丹市のホームページから構成した。

ワシントン桜物語
 高峰博士の手紙と外交ルートから、アメリカ大統領夫人の桜植樹計画を知った尾崎東京市長は、日本から桜を贈ることは、日露戦争の終結のため1905年のポーツマス条約の仲介をしてくれた米国への謝意を表し、日本とアメリカの友情に願ってもないチャンスだと考えさっそく準備にかかりました。
まず1909年(明治42年)8月に東京市会で桜の寄贈を決定。すぐに植木業者と契約を結び、苗木2000本(高さ3m直径6cm)が日本郵船の加賀丸に積み込まれ11月24日に横浜を出航しました。アメリカではタフト大統領夫妻が東京市の申し出を快く受け入れ桜の到着を待ちました。

第一回目に送った桜の苗木2000本は害虫の為償却処分
 加賀丸は12月10日にシアトルに到着。特別仕立ての冷蔵貨車で大陸を横断しワシントンに輸送されました。翌年1月にワシントンに着いた桜苗木に思いがけないことが起こりました。フェアチャイルド博士やマーラット昆虫局長らが届いた苗木を調べると、害虫が無数についており、病気にかかっていることがわかりました。 このような害虫をアメリカの土地にいれることはできません。またこれほど多くの桜の苗木を消毒したり殺菌する方法がありません。そのため、 すべて送られて来た苗を焼却処分にすることになりました。


久保武兵衛氏の桜にかけた情熱

  送られた苗木がすべて焼却処分された事を知った尾崎東京市長は、約束を果たすために二度目の桜の苗木を贈ることになりました。
 穂木は東京の荒川堤の桜並木から取ることになりました。台木づくりは、病気や害虫の恐れの少ない 兵庫県の東野村(現在の伊丹市東野町)で行うことに決められました。
 そのころ兵庫県の南東部の地域(宝塚、伊丹、川西、池田(大阪府))は植木づくりの盛んなところでした。 興津試験場では、この台木に穂木を接ぎ木して育てることになりました。
 1910年5月に東野の久保武兵衛氏に農事試験場の古在博士は、アメリカ・ワシントンのポトマック公園に植える桜の苗木を興津試験場で接ぎ木して育てたいので病気や害虫のない元気な台木1万5千本の注文を行いました。

 東野村では明治9年ごろから果物の苗木づくりをはじめていました。ヨーロッパやアメリカでは食後に果物を食べる習慣があることを知って日本の人々もやがてその習慣に習うだろうと考え、はじめたということです。そしてこの考えは見事にあたり、和歌山の温州みかん、千葉県のみかん、山口県の萩の夏みかん、岡山県の桃、鳥取県の20世紀梨などの苗木は、すべて東野村でつくられたものです。 久保武兵衛さんはこれらの苗木作りをして日本の生産地へ送っていました。

1912年再度苗木がワシントンに送られる

 1912年3月26日に桜苗木はワシントンに着きました。農務省の人たちが検査するために荷物を広げたところ「病気にかかている木は一本もないぞ。」という声があがりました。昆虫局長のハワード博士も、「私は、今までにこのような完全な輸入植物を見たことがない。」と驚きました。
 そして 1912年3月27日にポトマック公園で植樹式が行われました。当時のヘレン・タフト大統領夫人と珍田日本大使夫人によってそれぞれまず最初のソメイヨシノ種1本が植えられました。記念すべき最初の植樹2本の場所に今も記念のプレートがあります。

付近の庭 伊丹市柿衛文庫
 久保家の付近には重森完途氏の庭がある。酒蔵に囲まれた空間に枯山水の川に2本の橋が架かっている。市民が美術館で知的な欲求を満たした後に公的な場所で心を癒す事ができるとは、何と贅沢な空間だ。尚、美術館に入らずに庭園を観賞するだけならば無料である。

▲塀越しに庭園を眺める

▲上記写真拡大

▲通路を塀越しに望む

▲園内に入ると、塀に沿って巨石群が林立する。壮観だ


▲母屋に向かう沿路から塀際の石組みを望む

▲重森特有の園路を左に向かえば本棟に至り、右に向かえば茶室になる

▲本棟への敷石

▲茶室への道

▲全景

▲巨石群、園路が重なり合い幻想的な風景

▲本宅(200年前のもの)から居宅方向を見ると須弥山岩組み越しに蓬莱山群が見える

▲玄関前の須弥山

▲茶室前の岩組みが夕日に生えて鮮烈に浮かび上がる(蹲は重森完途氏による)

▲柿衛文庫全景  緩やかな起伏の築山の間を枯山水の川が流れ、2本の橋が架かっている

▲上記写真の橋を拡大

▲枯山水の川を渡る沢渡り

▲沢渡りの先にもう一つの橋が架かる
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