旧秀隣寺  室町時代  池泉回遊式
滋賀県高島郡朽木(くつき)村大字岩瀬374 興聖寺内
沿革
 
細川高国は管領職を18年間務めた。その間12代将軍を補佐し、13代将軍に義晴を就け、補佐した。しかし1527年に柳本賢治、細川晴元、三好元永らが京都に攻め入ったために、細川高国は将軍足利義晴とともに坂本に逃れ、さらに翌年朽木に逃れた。将軍はここに2年半滞在した。
庭園
 戦国武将の庭として知られている。しかし、一般的な戦国武将というよりは洗練された武将の庭だ。比較的小さな庭であるが、どのような角度から見ても飽きさせない凄さが溢れている。背後を低めの築山を築き、浅い池であるが鶴島、亀島がある。鶴島は日本一ともいえる大胆な造形だ。亀島の亀頭石、亀尾石ともピンと持ち上がっている。護岸は入り組んでいるのは逆L寺形の出島が変化を添えている。護岸の石は縦石と横石がバランスよく組まれている。橋は厚いが低めにか架けられている。このようにコンパクトでありながら小気味よい切れ味に溢れた庭である。足利時代最後の光芒を見る思いだ。

▲鶴島  羽石は巨大である象徴的に表している
  鶴島の羽石は特徴的だ。手前の羽石は豪華で蓬莱石をもかねている。このような形と、組み方はこの跡の桃山時代に大いに発展する。三宝院、西本願寺、二条城に同じ手法がある。なお鶴島には仙樹である椿の古木がある。

▲全体像   滝が左手から流れ、中央には低くて分厚い石橋が架かっている。橋の左右には亀島と鶴島が向かい合っている
。その奥には蓬莱山がある

▲鶴島の羽石は華麗な形だ

▲鶴島裏側から護岸と橋を望む

▲左より滝、遠山石、亀尾石とポイントになる石が立てられている


右端に亀島、中央奥は鶴島、中央には逆L字形の出島があり曲水がS字カーブを描く

▲亀島の後ろには滝と蓬莱山が
    亀島の亀頭石、亀尾石はピントたち元気が良い

▲出島に架かる分厚くて低い位置にある橋(この後橋は亀島に架かる)。後ろには亀島と滝が見える

▲亀島と鶴島、鋭角に突き出た出島(北側から見た景)

▲北側護岸と山裾の石組み

▲背後よりの亀島と護岸。立派な立体造形だ。重森の原点であろうか

縦石と横石のバランス

▲滝には巨大な滝添石と鯉魚石のような水分石

▲鶴島の羽石と奥の護岸は鶴の首

▲雪景色の亀島
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