妙心寺東海庵  枯山水  江戸時代末期
京都市右京区花園妙心寺町  電話:075−462−4326(非公開、但し熱心な訪問者には許可)
沿革
  寺は1484年に妙心寺6世・雪江禅師が悟渓宗頓に開設させた。以後妙心寺四派の一院として重きをなしている。庭は1814年に紀州田辺の海蔵寺15世東睦宗補(とうぼくそうほ)によって作られた。東睦和尚が養徳寺で修行中、江戸の庭師石龍が3年ほど滞在。東睦箱のとき石龍から作庭法を学んだ。江戸時代の末期になれば、植木職人が類型化した庭を作っていた時代に、禅僧が作った庭は流石に本格的である。
庭園
  枯山水の庭が三ヶ所ある。いずれも個性豊かな庭で作者の強い思い入れがある。
@方丈前の砂庭
A7石より成る坪庭
B東海一連の庭

▲方丈前の砂庭
  方丈前は禅寺においては最も重要な場所である。ここには白川砂にまっしぐらに引かれた直線だけである。あるのは唯一つ、大棗形の手水鉢である。ここが唯一人坐禅を組み自己を見つめるのに最も適した禅の庭の極地といえまいか。凛と張り詰めた空間、緑の松と土塀越しには法道、仏殿が見え、煌々と照らす月明かり、雨の雫音、舞い込む雪。これぞ禅の道場だ。

▲坪庭‐書院南庭(西側より東側を見る)
  小さな坪庭に禅僧は色々な思いを詰め込んである。その思いは私には理解できないが特徴ある形を列記する。
@一直線に配置した七つの石:七つに意味があるのだろうか。尚禅寺の壺庭は他の禅寺にもあるが、一直線に配置することができなくなってしまった。
A中央の小さな石を中心として大小の石が交互に配置されている。
B石は不動のように見えるが左回りに回っている。 世界は一見不動のようでも、感知できないところで天地は動いている、とでも主張しているのだろうか。

パンフレットに適切な解説があるので記載させていただく
「互いに連携をもつダイナミックな石組みは、無限に巨来なものの中における因縁もしくは因果を思わせ、目に見えないものに動かされる動きは宇宙の動き、成住壊空、生老病死のひつ伝的な輪廻之至永劫回帰を意味するようである.直線的に並んだ石組みは因果的に先後する直線的時間でもあり、直線的な人間の歴史の流れはまた自然を基盤として大自然の中にあり、そのままより大きな動きで円還する必然的運命に巻き込まれる。だが、人間は生老病死しながら生死輪廻を越えており、因果必然‐歴史理性での偶然性は限りない無における厳然たる必然性ーにおいて本来的に因果を超えている。石はおのおの自在であるように、静動を蔵してそれ自体無事充足せる自在な無心の用(ハタラキ)に他ならないからである。」

▲右側より三尊石、その前の木に隠れて見難い小さな石が白雲石、右隅の小さい石が水分石。三尊石の左が龍門石、その手前の茶色の石が波切石、最も左側が影向石(ようこうせき)。

▲右側の松の辺りが瀛州(えいしゅう)島。奥の松の辺りが方丈島。左のこんもりしたところが蓬莱島。
手前の四角い石は礼拝石、右隅のゴツゴツした石は鶴石といわれている。

▲三尊石

▲手水鉢


▲三門

▲東海庵界隈
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