南宗寺  臨済宗大徳寺派
堺市南旅篭町東三丁一番二号  電話:072−232−1654
沿革
  南宗寺派1526年に京都大徳寺の住職古岳宗亘(こがくそうこう)が堺の一小院を南宗庵と改称したのが始まりと言われる。特に茶道はこの寺から始まったともいえるが、堺の茶人、武野紹おう、千利休によって完成された。その「茶禅一味」の精神的基盤は、南宗寺の大林和尚、第二世笑嶺和尚ら歴代の和尚に参禅することによって確立されたといわれている。
庭園
  大徳寺の大仙院を築造した古岳宗亘が造った庭なので、大仙院と比較してみると、理解しやすい。
大仙院に比べ広い場所に作られているためにのびのびとした感じを受ける。しかし枯滝、手前に流れてくる渓流、石橋、などの要素は感覚的に似ている。深山幽谷に発した渓流が広々とした平野に出て、大河になる様子が描かれている。これを見ていると気分が開放されて来る。

  枯山水の原点として大徳寺大仙院が云われるが、この庭は古岳宗亘によって作られた。当南宗寺も古岳宗亘によって南宗庵と改称したのが始まりである。その故 当庭園は大仙院とともに枯山水の原点である。さして高くない築山から発せられた滝はダブルのS字カーブを描きながら石橋を潜りぬける。激流を表す手法として栗石を敷き詰めている。川の途中には所々に巌を現す石が置かれていて大自然の造形を表現している。手前に流れてくる激流が鑑賞者に動きのある感覚を与える。大きな庭ではないが大きさを感じる禅庭の名品である。

▲禅様式仏殿  1652年建立(国指定重要文化財)

▲山深くに発した渓流は深い谷の橋をくぐり、岩を食みながら平地に下ってくる

 画面下の臥石は古典庭園において非常に珍しい存在。重森の石組み手法の原点

▲存在感ある伏せ石

▲深山から発した滝は石橋を潜り渓流になる

▲渓流のせせらぎと岩、画面右端の青緑色の立石も皺の入った名石

▲左上の二本の立石の間から始めの一滴が流れ出す

▲二本の立石の間から水が発せられ、S字カーブを描きながら激流が橋の下に流れてくる

▲渓流はやがてゆったりとした大河になる。手前ほど栗石がまばらにしてある。

▲利休遺愛の向泉寺伝来袈裟形手水鉢

▲方丈前の灯篭

武野紹おう遺愛の六地蔵石灯籠

武野紹おうの墓

▲入り口を入ると禅堂にいたる

▲坐雲堂

▲唐門  17世紀中ごろ建立(重要文化財)


▲千家一門の碑 中央に利休宗易、左右に表千家、裏千家、武者小路千家の碑が立つ
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