南禅寺本坊  枯山水  江戸時代初期
京都市左京区南禅寺福地町  電話:075-771-0365
沿革
  1280年頃亀山上皇がこの地に離宮を営み、そこを大明国師が賜り禅寺とした。その後五山の別格第一位となり、伽藍は壮大さを極めた。応仁の乱で全山消失。しかし1605年金地院崇伝が南禅寺に入ってから復興した。1611年女院御所の御対面所を朝廷から拝領して、方丈として移築した。庭はこのとき小堀遠州の設計で築造された。
建築と庭園が一体
  小堀遠州の庭園の特徴は建築と庭園の一体化である。彼は作事奉行であることが示すように単なる作庭家ではなく江戸城、名古屋城、京都御所などの国家プロジェクトのトータルマネージャーであった。この庭に関して言えば方丈から眺めると寺の背後にある東山の流れ、建物の流れに合わせて石の配置をしている。すなわち左側に大きな石を配置し次第に右側には小さな石を配置している。これにより庭園は背後の建物や、大自然と一体化する。そのように大空間を取り込むようにするために、床を低くして鑑賞者は庭園を見おろすのでなく庭となじむようになっている。なお中央にある青い石は富士山の形をしているが、彼の出身地である近江富士を表していると思われる。
虎の子渡しの伝承
  トラは三匹の子を産むと一子は彪(ひょう)で、母虎がいないと他の二子を食ってしまうとのこと。そこで川を渡る時は、まず彪を先に渡しておいて、次に一子を渡して彪を連れて帰り、次には彪を残して別の子を渡し、最後に再び渡す、という伝説である。窮地の創意工夫を意味しているとも言われている。


現代の庭
 当寺には本坊南庭以外にも現代の禅庭園があるので、じっくりと観賞願いたい。

▲玄関

▲方丈と南庭

▲最初に見える庭園の景色
  手前に大きな石があり、遠くが小さい石のため、いっそう遠近が強調される

▲方丈庭園にふりしきる雪

▲苔の目地に残った雪紋

▲六石よりなる虎の子渡しの伝承のある庭。中央にある富士山型の青い石は小堀遠州のサインのとも言える。 こんもりとした東山と、建物(中央建物は後世に建てられた)、石の流れは相似形を成し大自然と建物、庭園が渾然一体をなしている。

▲紅葉の方丈庭園

▲方丈に向かう廊下は禅の庭への予感が

▲滝の音を聞きながら、お抹茶を頂くことができる空間だ

▲新たに作られた現代感覚の「蓬莱神仙庭」
狭くて変形な敷地でも現代感覚の庭がある。変形な敷地を利用した二つの洲浜が、蓬莱山および背後にある法堂に向かっている動きのある庭だ。
 なお、当庭の石は旧南禅会館の裏手の坪庭にあった石を利用したもので、これぞ禅の精神ではないか!
ご住職による作庭と聞くが、まさに石立僧で「禅観境を無染にした」と言えまいか。

▲近代的デザインの洲浜。蓬莱山と洲浜および小さな角石の捨石

▲L字型の変形な敷地を利用した奥行きのある構成   ▲背後にある法堂を望む絶好の場所

▲避雷針用の角石(廃物利用)の位置に合わせて、シャープな洲浜が蓬莱山に向かっている

▲三尊石に向かう洲浜

▲如心庭(昭和41年元管長の柴山全慶老師の指揮による作庭)
説明によると
 小方丈庭園は別名「如心庭」といわれる。その名のごとく、心字形に庭石を配置した枯山水の石庭である。庭石の配置については、「心を表現せよ」と当時の南禅寺官長の柴山全慶老師が自ら熱心に指導されたとのこと。解脱した心の如く、落ち着いた雰囲気の禅式枯山水庭園である。

▲六道庭(昭和42年)
説明によると
 「如心庭」が解脱した心の庭であるのに対し、この「六道庭」は、六道輪廻の戒めの庭である。六道輪廻とは、天界、人間界修羅の世界、畜生界、餓鬼界、地獄界の六つの世界を我々は生まれ変わり続けるという仏教の世界観をいう。一面の杉苔の中に配石された景石を眺めていると、煩悩に迷い、涅槃の境地に達することなく六道を輪廻する我々凡夫のはかなさを想う。

▲還源(げんげん)庭

▲華厳庭

▲鳴滝庭

▲石組拡大

▲龍吟庭

滝の音が爽やかに
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