根来寺
和歌山県那賀郡岩出町根来  江戸時代末期
沿革
  根来寺は正式には大伝法院という。1132年覚ばん上人が門弟700名と高野山から移ってきた。室町時代には寺院2700余り、寺領72万石と僧兵多数を擁する一大勢力になった。しかし豊臣秀吉による根来攻めにより全山消失。その後紀州家の寄進を受け1707年から大塔、本堂、大門の復旧にかかった。更に1801年には紀州家から名草御殿が寄進された。庭園はこのとき築造された。

すり鉢状の山畔を利用した庭。よく見ると岩盤が垂直に聳えており、手入れをすれば見事な庭になる

▲山畔に三段の滝が落とされている。傾斜地を利用しているために立体的な見ごたえのある庭だ。上部の渓谷には玉かん式石橋が架かっている。

山畔を利用した三段の滝、上部には玉間流の滝がある

▲鶴島(右)、亀島(左)は豊富な紀州の緑石をふんだんに使用している。橋はいわゆる三橋式。更に亀島には洞窟があり蓬莱島である。

鶴島に架かる三橋

▲大塔 全て円形作り                   ▲本堂には大きな三尊像が鎮座している。
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