西谷家の庭  現存する最初期の庭
岡山県上房郡吉備中央町賀陽  非公開
  重森三玲氏が自邸以外で作庭した現存する最初の庭(1929年、昭和4年、33歳)である。向かって左側には植栽に覆われた石組みがあるので、全景を見えるようにし、作者の創造の源を探りたいものだ。

 塀は当初の高さにし、伸びた木や躑躅は思いきって伐採したために、庭園本来の姿が再現された。丘の中腹から田園風景も望め開放感溢れる庭になった。

▲初期の作品から立石がある。重森氏は後に全国のの庭園を実測し、立石が本来の日本庭園の美しさの源である事を発見するが、すでに自宅の処女作も当西谷家においても立石が石の造形を豊かにする事を会得していた事になる。尚、垣根は当初はもっと低く作られていたため、背後の野山の景色と併せて観賞できた。

▲垣根を当初の高さにした。小さな庭であるが開放感に満ちた気持ちの良い庭によみがえった。
 奥行きの狭い庭であるが、そのハンディーを克服するために、@背後の景色を一体化させた。A立石による石組みは奥の一列のみにし、手前に小さな扁平な石を散在させで、鑑賞者に圧迫感を与えないようにした。B大きな立石は一石のみで、左に向かって低くし、背後の野山に自然に目が行くようにしたのではないか。

中心部石組み

▲中心にある舟石は蓬莱山に向かっている

美しい自然と田園風景がこの人工美の世界を引き立てる。

このアングルで鑑賞すると、奥行きのある石組みの妙が感じられる。
 
▲上記写真の左側には植栽が生い茂っていて庭の形態が不明であった。

▲今回躑躅を伐採したら「鶴亀兼用の島」であることが判明した。
西谷家と重森最後の弟子である岩本市の努力による。

▲旭楽庭
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