楽々園 枯山水 江戸時代初期 |
滋賀県彦根市金亀町3−44 現在欅御殿に入れないために庭園の拝観は無料である |
隣の玄宮庵と同じく1677年に作られた。ただし、この庭は米原の青岸寺にあったものを解体して、彦根で再構築したものといわれている。わざわざ10km近くを運ぶに値する庭の構成であった。青岸寺は急峻な山裾を利用しての庭であったので激流の流れはもっと急で、もっと長かったのではないか。いずれにしても、このような桃山時代を思わせるような、豪快無比の庭がほとんど知られることなしに、ひっそりと佇んでいるのを惜しむ。井伊家の文化に対する理解が重厚であることを感じる次第だ。 |
築山から落ちる枯滝の途中には玉澗流の橋が架かっている。 |
枯滝の先端は船の舳先のようだ。なおこの下には奔騰石と言われる栗石が敷かれ、滝が落ちた時にできる泡を具象的に示している。 |
▲深山幽谷の渓流はやがて激流になり滝からほとばしり落ちる。将に水墨画の世界。橋の添え石に一つが特に大きいのは曼殊院と手法が近い。 |
▲峡谷にかかる橋 水墨画を見るようだ、中国の天台山・方広寺の石梁飛瀑のような景色。 |
▲枯滝 巨大な石が縦横無尽 (写真では同色の石が重なってしまいみ難いが) |
▲山頂の須弥山(左端) ▲須弥山は刀の切っ先状だ |
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