龍源院  室町時代  枯山水
京都市北区紫野大徳寺町82 電話:075−491−7635
  当寺は1502年大徳寺73世東渓宗牧が開設。初めは霊山一枝軒と称したが、1510年龍源院と改称した。龍源院の「龍」は本山の龍宝山の龍をとり、「源」は根本法源松源一脈の源をとり,あわせて龍源としたという。松源は大徳寺禅の根源である。
  見所は方丈北側の庭。壁に沿って小石がS字型にくねっていて、右側には棒状の石が鋭く突き出している。これは龍が雲海の中をくねっていて、雲の間から頭をもたげている姿ではなかろうか。傾斜した大きな石の前にある丸く平らないしは龍の玉で、その右手前にある石は龍の爪、左端の立ってる石は龍の尾であろうか。
  このような小石を集めた庭でも雲海に泳ぐ龍が読み取れるところが、禅寺の面白さだ。
  方丈南側には先代の住職が作られた巨石により庭があり、方丈東側には小さな坪庭もある。

▲右端が龍の爪、左端がピンと立った龍の尾(露出不足で見難いが)
 全景  雲海から龍が上昇する姿に見えないだろうか

▲中央部  中央が上昇する龍の頭、その手前の円盤状石は龍の玉、右手前は爪

▲方丈北側の様子

▲禅寺の外国人  彼は私が参拝に来たときはすでにいた。庭を見ながらなにやら書き留めていた。私は裏側の龍の形をした庭を観察していたが、戻って見ると未だ考え込んでいる、ノートを覗き込むと相当長文な感想を書きとめている様子。違った文化の人間が日本の伝統文化をなんと解釈しているのだろうか。この後大徳寺本坊に行ったら、彼が来てやはりノートを取り出し感想文を書いていた。
  当日は雨であったが参拝者の半分ぐらいは外国人であった。彼らは京都といえば大徳寺や妙心寺などの禅寺が拝観コースになっているのだろうか。

▲方丈東庭 東滴壺   昭和35年に鍋島岳生氏の作品
 方丈と庫裏の間の僅か5坪の庭であるが一滴の水玉が無限に広がっていく
 

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