青岸寺 枯山水 江戸時代初期  苔の枯山水
滋賀県坂田郡米原町米原669  電話:0749−52−0463
沿革
  1360年頃、近江守護職の佐々木道誉が祈願所として開設。1504年兵火で焼失。1650年復興。庭はこの時築造された。ところが1677年彦根藩主4代井伊直興が下屋敷の玄宮園と楽々園を造営するために、当寺の庭石を全部運び出してしまった。その後翌年当寺の興欣和尚が井伊家家臣の香取某に命じて改めて当庭園を作らせた。
庭園
  作庭にあたって興欣和尚が意図したところは観音菩薩の住まわれている補陀落山の世界の出現にあったといわれ、そのために36個の要石は全て仏名をつけた。
  築山上の三尊の脇石は後方に控えて組んであり、来迎な組み方である。枯滝の横の石は不動尊を表している。
備考)隠れたる名園はJR前原駅東口を真直ぐ山に向かっていけば突き当たりにある。徒歩5分

▲枯山水  庭は鋭い形の石で覆いつくされている。見るものに緊張を強いるが、池の水は白砂ではなく苔によって表されているために、多少寛ぐことが出来る

▲蓬莱島  亀が蓬莱山を背負い、そこに鶴がいる。向かって左側に亀頭石がある

▲山裾には三尊石が厳しく聳え立つ

2008/7/10時点では雪のため三尊石の左の石が倒れている

左側の廊下より見ると中心石が前へ出ていることが分かる

不動石と枯滝の左側の壁も巨石で覆われている

▲不動の滝(写真中央右)  左手前は蓬莱島の鶴

▲六角灯篭

▲左右に広がる護岸には二重、三重の集団石組みがなされている

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