滋賀の庭園の魅力
講演会日時:9月16日(19:00〜20:30)
演題:滋賀の庭園の魅力
    @日本庭園の時代思想と造形
    A日本庭園が芸術であるためには

     B剪定の重要さ・借景と枯山水庭園・龍安寺の真実
     備考)
       講演内容は上記演題をパワーポイントで120スライドご説明します。
       なお、その内容はコピーで講演会当日お渡しいたします。
後援:米原市・彦根市・公益財団法人彦根観光協会

 滋賀県は京都府に次いで庭園の多いところである。滋県の庭園の魅力は作庭当初の姿で残っている場合が多いので、時代ごとの作庭意図が解りやすい。旧秀隣寺、青岸寺、玄宮園、楽々園、長浜地域の古刹、坂本の諸庭園、湖東地方、そして湖北地方の特色ある庭園が目白押しである。
 これらの庭園と全国的な庭園を一堂に集めて、日本庭園の素晴らしさをご紹介したい。
展示写真の一端をご紹介いたいと思います。
 今回は青岸寺の堂内で、滋賀県の庭と禅の庭を中心として展示できたことは、私としてこれ以上の喜びは有りません。また大きな写真を展示することで、あたかも庭園の中にいるような臨場感を味わっていただければ幸いです。

以下に展示風景と展示写真のコメントを記載いたします。

↑部屋の中:左より青岸寺・楽々園  部屋の外:左寄り光前寺・保国寺・永保寺

↑常栄寺(雪舟寺)の龍門瀑と枯山水(奥は旧秀隣寺と松尾神社)

↑夢窓疎石の坐禅石:永保寺・多治見市)

↑左より青岸寺・常栄寺・天龍寺・東福寺

↑左より瑞泉寺・光前寺・保国寺

↑左より光前寺・保国寺・玄宮園

↑左より常栄寺・天龍寺・東福寺・瑞応院

奥:常栄寺、中:天龍寺・東福寺、手前:瑞応院

左より:青岸寺・西芳寺・常栄寺(一部)・天龍寺・東福寺

展示写真のキャプション(講演会当日カラー印刷をお渡しします)。

青岸寺(写真サイズ:幅250×高さ175cm)
手前の亀島には松も植えて蓬莱山として、その奥には不動の滝があり、さらにその奥には三尊石がある。全体で補陀落山の観音の世界を象徴している。
 この庭を作ったのは三世の興欣笑堂であるが、作者は井伊家家臣の香取氏である。彼は当山に参禅もしており和尚の意図を汲み取って心を込めて作ったと言われている。
 この庭の迫力は石の選択と共に忘れてはならぬこととして、抜群の地割にある。即ち手前に鶴亀、蓬莱山の兼用の島を置き、山畔には不動の滝、さらに土盛りされた山頂には、やや小さめの三尊石が配石されている。つまり遠近法的な構成である。当庭は奥行きが深いのであるが、さらに奥行きを感じさせる地割である。
 さて、このような荒々しい石を組んだ破天荒とも言える造形感覚は、大通寺庭園や玉泉寺庭園など湖北地方の庭園に強い影響を与えている。

青岸寺(米原市)
庭園の奥にある三尊は中央の本尊が前に乗り出した珍しい様式である。土盛りされた須弥壇にある構成が荘厳さを浮き上がらせている。また手前にあるのは不動の滝であるが、なんといっても不動尊がこの庭を荒々しいく如何にも仏の心がこもった石である。この造形こそが最も印象的である。
(写真サイズ:幅250×高さ175cm)

楽々園(彦根城)(写真サイズ:幅250×高さ175cm)
現在の楽々園は当初は青岸寺にあった石組であったが、1677年に彦根藩主4代井伊直興に所望され、移設されたものである。

玄宮園(彦根城)(写真サイズ:幅250×高さ175cm)
 重厚な石が遠路、護岸、池中、島中に散在していて、抽象的な配石は「水の龍安寺」とも言える。
全国の大名庭園では最も質実剛健な石組がなされ、最高傑作である。

赤田家(長浜市)(写真サイズ:幅250×高さ175cm)
庭園の奥行きがあり、石組も右手前から左奥に組まれている。そのため一層遠近感が強調され庭園に深みを増している。右端(視野外)には滝もあるが特別な仕掛けのなくさりげない扱いだ。万事具象的な造形ではないがゆえに、全景的な造形が静謐な庭にしている。

瑞応院(大津市坂本):重森三玲作 (写真サイズ:幅250×高さ175cm)
 比叡山の山田恵諦大座主との出会いによる。楽紫の庭のテーマは「阿弥陀聖衆二十五菩薩来迎図」である。石組の構成は中心に阿弥陀如来、手前の左右には勢至と観音菩薩の諸尊が配置されているため遠近法効果があり、廊下を移動すると立体造形が連続的に変化する。

瑞泉寺(鎌倉市)(写真サイズ:幅250×高さ175cm)
 修行道場としての坐禅窟この天女洞なる水月場は岩盤を穿って池とした。奥には葆光窟と云う坐禅窟があり、山頂のへん界一覧亭から富士山を望むことができ、夢窓の庭の原点だ。

西芳寺(写真サイズ:幅250×高さ175cm)
 上部石組は龍門瀑、坐禅石、亀島があり、いずれも後世石組の基準となる。特に碧巌録による龍門瀑のテーマは、後世の禅庭園の模範となった。また各段の滝の間には坐禅の空間があり、修行道場であることを示す。

常栄寺:7段の滝が約20mも続く(写真サイズ:幅250×高さ175cm)
 龍門瀑の原点は蘭渓道隆が建長寺の創建に当たり書かれた『大覚禅師省行文』の
「紅尾(鯉)は禹門の波と競って、争って三級岩を超える」
に由来する。
龍門瀑をテーマとした庭は、山畔に段丘状に滝を石組みし、鯉魚が激流を遡上する姿は躍動感あふれる立体造景が得られる。西芳寺、天龍寺、金閣寺、大徳寺にもあるが、その極みは画聖雪舟による常栄寺の龍門瀑である。
 滝はV字型の渓流にやや蛇行しながら、7段で長さは約20mになる。この庭の一段目の滝の前には飛翔した鯉魚石があり壮大な龍門瀑が形成されている。なおこの造形が「龍門瀑」の故事に因んでいることは鯉魚石の周りが龍腹護岸に組まれていることからも明らかである。即ち鯉魚は既に龍に化身しつつあることを暗示しているのである。

常栄寺(山口市):画聖雪舟の作で龍安寺の魁になる(写真サイズ:幅250×高さ175cm)
 庫裡前のこの造形はほぼ平坦に土盛りされた空間に、上面が平滑で端面が鋭い稜線の石のみで配布されている。中央左側の石組みにすべての石が収斂しているように見える。何かの物語ではないかと想像させる不思議な石組みだ。池庭の背後には山畔の石組みが、はるか彼方の山並みを思わせる水墨画のようだ。

光前寺(長野県駒ケ根市)
 龍門瀑の庭は日本三名瀑の一つである。飛翔した鯉魚石と立石は明快で心地よい。水落石は扁平で禅宗の滝の特徴を示し、鯉魚石左横の滝添え石は碧巖石である。





保国寺(西条市)(写真サイズ:幅140×180cm)
 すり鉢状になった山畔に伊予の青石が林立している。その中にあって稜線の鋭い長方形の石が一際目を引く。多くの立石の中にあって、鋭い横線がこの造形の総てである。さて、この造形は何を象徴しているのであろうか、上記長方形の石の下には一石のみが丸みを帯びた斜めに組まれた石がある。これは鯉魚石ではなかろうか、また護岸にある横石を滝とみなせば三段の滝と見立てることが出来る。ということは龍門瀑の物語を視覚化した造形と考えられる。

天龍寺:龍門瀑
(写真サイズ:幅140×180cm)
 後醍醐天皇を弔うために夢窓疎石によって作られた庭である。正面には龍門瀑が作られ、鯉魚石は今にも観音の世界に入る様を示している。その他に坐禅石、石橋、夜泊石などの要素が含まれた古典庭園の基準とも云うべきである。
 なお、庫裡の正面に作られた石組みは、自然石を組み合わせた石組を鑑賞するという日本庭園の原点が完成したことを意味する。日本庭園の原点。

東福寺:重森三玲
(写真サイズ:幅140×180cm)
 重森を世界的な作庭家として世に知らしめた作品。蓬莱山を中心とした石組みは圧倒的な存在感を示す。重森は四神仙島に石組みをした。これらの島は神話の世界であるから、具象的な造形にする必要はない。重森は各島に造形的な観点から石を組んだ。
 神仙島の石組は6m近い横石を置くことにより、立石との均衡が図られ古庭園では見られなかった全く新しい造形の創作庭園である。


旧秀隣寺(高島市)(写真サイズ:幅172×高さ90cm)
 室町末期になると、全域に配置される石は、造形過剰の石組みを間引きされて、必要最小限度の石で空間構成をされて来る。その典型的な庭園とも言えるにわである。石は比較的小さいので造形は小回りを利かした汀線になり、要所要所に大きさの異なる石を配石して遠近感、高低感を醸し出している。
 この抽象的とも言える造形はテーマである鶴島(右)、亀島(左)、蓬莱山(中央)をほとんど感じさせないくらいである。

松尾神社(八日市市)(写真サイズ:幅172×高さ90cm)
 室町末期の端正な石組みによる空間構成美と桃山期の豪快な造形主義の特徴を併せ持った庭である。。即ち石組みは庭園全域に布石して全体の均衡を配慮している。一方では庭石を組み合わせる技術に卓越し、石橋に分厚い石を使って造形に迫力を持たせている。なお当庭は枯池形式を特徴とし池汀や中島の護岸石が全面的に露出することになる。その結果、護岸石は極めて立体的になり、絢爛たる石組美を構成している。

永保寺(多治見市)
 夢窓疎石が修業のために創建した寺である。坐禅石からは観音堂(国宝)と梵音岩から落ちる滝(飛瀑泉)、反り橋(無際橋)が見える。なお、この坐禅石の記憶が25年後に西芳寺の坐禅石として蘇える。
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