泉涌寺錬成道場前庭園  重森三玲の作品(昭和48年)
京都市東山区泉涌寺山内町27番地   非公開
沿革
 泉涌寺は東山三十六峰の一つ、月輪山の麓に静かに佇む。ひろく「御寺」として親しまれているが、天長年間に弘法大師がこの地に庵を結んだのに由来する。当初は法輪寺と名付けられ、一時仙遊寺と改称されたが、1218年に当寺の開山と仰ぐ月輪大師が宋の様式を取り入れた大伽藍を営み、山内に清水が湧き出たことにより、寺号を泉涌寺と改めた。月輪大師は宋で仏法の奥義を究められたが帰国後は律を基本に天台・真言・善・浄土の四宗兼学の寺として隆盛させた。時の皇室からも深く帰依せられ、1242年の当寺に四条天皇の山稜がこの地に葬られてからは、歴代天皇の山稜が、この地に営まれるようになった。爾来、皇室の菩提所として篤く信仰され、「御寺」と言われる所以である。
庭園
  三方正面の難しい空間を18石の青石と苔を貼った二本の霞状野筋、赤白の洗い出し6箇所でまとめている。東西10間、南北4間の長方形の空間に二本の複雑な霞形野筋が描かれている。苔で覆われた野筋はこの庭の主役とも言える。野筋の先や凹んだ部分には重森の特徴である「洗いだし」が意匠され、アクセントになっている。庭を囲む北側の山畔は緑に覆われているが、三方は書院、廊下、ロビーで囲まれ、各々の視点から眺められる。石は殆どが直立して存在を主張しているが、野筋と馴染んでいて気にならない。苔に覆われた野筋の間には白川砂が敷かれている。この庭園は枯山水の基本である石、苔、砂の三要素である。

即成院の二十五菩薩のお練供養
  お練供養の儀式のある寺は30寺院位あるらしいが、実物の仏像が二十五体揃っているのは当院のみである。毎年10月の第二日曜日に行われる。ぜひ参観したい伝統行事である。
  阿弥陀如来とともに来迎する二十五菩薩とは観(世)音、勢至、薬王、薬上、普賢、法自在王、獅子吼、陀羅尼、虚空蔵、徳蔵、宝蔵、金光蔵、金剛蔵、光明王、山海慧、華厳王、衆宝王、月光王、日照王、三昧王、定自在王、大自在王、白象王、大威徳王、無辺身の各菩薩である


▲山畔よりの俯瞰全景


▲北北東部よりの全景

▲北東部よりの全景

▲道場側(東)から見た石組み

▲南から見た前景(左側野筋が一部消失)

▲南部より

▲手前に赤色の洗い出し(ロビーより)

▲北西のベランダからの景観

▲山畔からの生得の滝(龍門瀑様式)

▲飛翔した瞬間の鯉魚
 

▲山裾に流れる川の樹上にはモリ青蛙の卵がある。東山の自然が生きている
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