旧芝離宮恩賜庭園
東京都港区海岸1-4-1 電話:03-3434-4029

沿革
 延宝
6年(1678)将軍家から埋め立て地であったこの地を拝領した老中大久保加賀守忠朝はここに屋敷を造り、作庭を始めた。庭は貞享3年(1686)までに完成し「楽寿園」と命名された。
 「楽寿園」は典型的な回遊式庭園で、園景の中心には江戸の水辺庭園特有の汐入式の池があり、干満によって景色が変化するよう工夫されていた。蓬莱山を表す中島や中国抗州の西湖の趣をとりいれた堤などを作った。
 その後,大久保氏より数氏を経て、幕末には紀州徳川家の芝御屋敷となり、さらに有栖川宮家を経,明治9年に宮内省が買い上げて「芝離宮」となった。
 大正12年の関東大震災で建物等が焼失したが、翌131月の昭和天皇のご成婚を記念して東京市に下賜され、市では震災の復旧を行い同年4月に「旧芝離宮庭園」として一般に公開した。

庭園
 なんと言っても大島の岩組みが圧倒的だ。これだけの名園が余り知られていないのが不思議である。しかもJR浜松町駅の横にある。大名庭園を特徴づけ西湖の堤、蓬莱山の中島である。江戸の初期に作られたためか、安土桃山時代の雰囲気が残っている。


入園して目につくのが出島の松である。この松越しに浮島、中島が見え隠れする。

浮島と中島

中島は蓬莱山を象徴

枯滝が海に落ちる

大島の石組は大名庭園で最も秀逸である

▲大島の岩組みは大名庭園とは思われない迫力だ

▲上記岩組みを横から撮影。まさに重森三玲の世界だ。

自由奔放な石組

圧巻の根府川山

▲西湖提  中国趣味の象徴としてこのような堤が、多くの大名庭園に作られた

▲西湖提と中島

▲西湖提と中島<蓬莱山>

圧巻の蓬莱山石組

▲峡谷の思わせる通路には迫力のある枯滝がある

▲州浜にある雪見灯篭、背後の島は浮島

▲大山から見た全景
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