正伝寺 比叡山を背景とした枯山水庭園 江戸時代初期 重森古図に基づいて復元・昭和10年 |
京都市北区西賀茂鎮守庵町112 電話:075−491-3259 |
沿革 正伝寺は宋より来朝された兀庵普寧(ごつあんふねい)禅師が今出川の地に創建された。その後禅師の法を継がれた東巌慧安(とうがんえあん)禅師がこの地に創建した。方丈は伏見桃山上にあった遺構で御成殿と称されていたものを南禅寺から1653年に移築した。 庭園 つつじの刈り込みで七五三とし、その広報には霊峰比叡山を借景としている。南禅寺本坊にゆかりの深いことから、そこの庭との類似性が指摘されている。尚、当庭は昭和の初期まで白砂の部分に石があったが、重森がその石の下を調べてみると、新しい瓦が詰め込まれていた。また古図も白砂のみであったため、古図の状態に復元した。 尚、当庭園にも南禅寺同様に「虎の子渡し」の伝承がある。 虎の子渡しの伝承 トラは三匹の子を産むと一子は彪(ひょう)で、母虎がいないと他の二子を食ってしまうとのこと。そこで川を渡る時は、まず彪を先に渡しておいて、次に一子を渡して彪を連れて帰り、次には彪を残して別の子を渡し、最後に再び渡す、という伝説である。窮地の創意工夫を意味しているとも言われている。 |
▲山門 |
▲参道 |
▲方丈手前には大きな南天が生い茂っている |
▲つつじの刈り込みが右から七五三になっている |
▲当初は白砂部分に石組みされていたが、重森により撤去された |
▲霊峰比叡山 |
▲南禅寺庭園を反転した写真。上記写真との形の類似性 |
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