清滝寺徳源院  京極家墓所と庭園
庭園
 現在の庭でも見応えのあるのは、背後にある岩盤と頂上にある磐座があるため、大変奥行きのある庭になっている。池泉左側には堅固に石組みされた出島があり、その背後には岩盤から流れ落ちる滝と三尊風の巨石が視線を受け止める。さらに視線を右に移すと角の鋭い巨石が組まれている。これだけでも急所に石組みされているため奥行きのある造形である。
  しかし本来の石組みから見ると、心もとない庭になってしまったようだ。と言うのは大半の巨石は彦根城にある玄宮園に抜き取られてしまったのだ。

宝篋印塔
 1295年造立の銘のある初代氏信から、1811年丸亀城主京極高中まで、歴代の宝篋印塔が上下二段に並ぶ墓所は、丸亀藩二代高豊がここに集め、欠損を補い順序を正して整備したもの。
 上段には氏信墓から高吉までの18基が、下段には高次墓が石廟に入っているほか、江戸時代の歴代当主や分家の人々の墓が、木廟4基を含め14基と五輪塔3基が整然と配置されている。
 鎌倉時代から江戸時代に及ぶ各時代の特徴と変遷を示す墓石が一ヶ所にある貴重な史跡だ。

京極氏に関する関連資料
 @近くには戦国武将庭園の魁となる京極氏庭園跡 があるので是非観賞したい。
 A京極氏系図(PDF)
 出典:『京極氏の城・まち・寺』「京極氏の歴史」 市立長浜城歴史博物館 太田浩司

書院から見る庭園はまるで一幅の絵画を見るようだ。
山畔の頂には磐座(磐座)が聳え、画面中央の楓の下には岩盤が有り、そこから滝が流れ落ちる、流れは橋を潜り、大海原に流れ込む。荒磯には波涛が襲い掛かり巌を並みで穿っている と言った風景か

庭園中央部


殿の間からの景観は左側出島の奥に三尊風の巨石があり雄大な石組みの造形になる

中央部の巨石群

書院からは見えないが池泉右側にも出島があり美しい護岸が感嘆の声を待っている

滝の背後には水墨画に出てくるような岩盤がある(雑草や苔が無かったら上部の盤座と呼応して、雄大な風景の庭園になるのではないだろうか)。

岩盤から落ちる滝

庭園中央部の荒々しい肌の巨石

書院側から庭園と京極家墓所の土塀を見る

有名な「血染めの紅葉」越しに庭園を鑑賞

下段墓所の全景

 左から19代高次(石廟)、24代高矩、25代高中(下段中央部)

左より10代高数、9代持高など(上段墓所の全景)

右より、1代氏信、3代貞宗、頼氏、5代高氏(上記写真と反対側からの景)

徳源院土塀の石垣:なんと素晴らしい石組みか!この地には名庭を生み出す石がある

参考)京極氏館跡にある京極氏一族の墓
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