東福寺の四季(光明院)  枯山水庭園 重森三玲氏作品
京都市東山区本町  電話:075−561−7317
  重森が昭和14年に作った庭。最初期の作品であるが新たな試みがあり、後世の作品に影響を与えた。
東福寺本坊と同じ年に作られたが新しい庭の造形を提案している。
@枯山水の洲浜庭園。古典庭園ではすべて池泉庭園であり、必ず洲浜があった。日本庭園は海洋風景の抽象化と考えた重森は枯山水庭園にも洲浜を再現した。昭和30年ころから洲浜形の敷石を創作する。
A三尊石が三組もある。当院は部屋がL字型になっているのでその配置や石組に工夫がある。
B三尊石から無量光が発している様を石がその光線上に配置して示している。新しい発想である。
C石が直接接して組まれていない稀有な例である。その理由は上記Bによる。
D汀には栗石がばらまかれているが海水の渋くを象徴している。当初は白砂中にもあった。大変面白い造形であるが砂紋が描きにくいと思う。
 是非拝観したいのが塔頭の光明院だ。広くてやさしい庭が我々を迎えてくれる。心休まる静寂の庭だ。
 30年前にもなる余談であるが、西宮にいる私を妹が訪ねてきた。学生の彼女が光明院を訪ねたときのことである。玄関を入ると例の志納金を入れる竹筒に拝観料を入れ、書院に入るとあっと驚くパノラマ庭園が展開している。暫らくはその美しさ見とれていたが、ふと気が付くと日陰の苔の上でご住職が昼寝をしているではないか。
人の気配を感じて目を開けられたご住職が「どこから来られたのじゃ」ということになった。信州の松本です、と答えると、ご住職は「待てよ」とばかりに、重森三玲先生が松本での庭園改修をした時の事を話された。妹は「それは私の家の庭ではないでしょうか」となった。三玲先生とともに忘れられない庭である。
  光明院にはS14年の「波心庭」とS37年の「雲嶺庭」の二庭がある

▲光明院の庭 いつ訪ねても穏やかに迎えてくれる。静寂、清潔。
  どの方向から見ても鑑賞にたえられる庭。蛇足ながら拝観料は志納金のみ。ご立派

▲春爛漫  この少し後にはつつじが山を埋める

▲静かで広く心休まる庭、ちょうど桜吹雪であった

▲桜の後はつつじの季節

紅葉の頃には苔も一段ときれいになる

▲本堂からの景  中央が三尊石から幾条もの無量光が発している

洲浜と石は無量光上に配置

洲浜の汀には飛沫を象徴した栗石がある

重森三玲・洲浜の庭第一号。美しい洲浜が第一作目で完成。以降敷石の応用される。

三尊石から幾条もの光明が放射している。

三組の三尊石がある(左奥、中央手前、右奥)

障子越しの風景は奥行が


▲静寂

▲前庭にある「雲嶺庭」(S37)
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