東香寺
岐阜県岐阜県加茂郡富加町1335
  夢窓は多治見の永保寺にいたころ師を慕う雲水が多くて閉口し、清水教院に行かれたと記されている。
しかしその地が現在の何処なのかについては諸説あるらしいが、川瀬一馬氏の「禅と庭園」では東香寺が有力な地であると記されている(近くに清水寺がある)。
  今回、東香寺の山門についた瞬間にこの地に違いないと感じた。というのは寺の背後に見える頂上には大きな岩盤が見えた。この風景は兵庫県の石像寺のそれとそっくりである。石像寺の磐座は山の中腹に真っ白な岩盤が露出しているのだが、この寺の場合は山の頂上にあるのではないか。
  急いでご住職に面会を求めて夢窓のゆかりの寺であるのかとかをお伺いした。また坐禅石についてもお伺いしたら、頂上に八畳くらいの岩盤がある、とのことであった。更にこの頂上からは霊山の御嶽山が望むことが出来るとのことである。ご住職は庫裏の裏側にある江戸時代と思しき庭園をご親切にご説明いただいたが、はやる心を抑え切れずに山頂に向かった。しかし、数分歩いたところで道は無くなってしまった。以前は集落の人々が行楽をかねて山に登り眺望を楽しんだ様子であった。現在は下草を刈らないため猪がすき放題に駆け巡っているようだ。

磐座信仰
  古代人はコニーデ式の美しい山を尊崇していた。祖霊が天と往復する憑代と考えた。そこに巨大な岩盤があればもう完全に信仰の対象であり、聖地となった。三輪山、三上山、日吉山など枚挙にいとまない。夢窓が逗留した多治見の永保寺には観音堂を建てたが、そこは凡音岩と言われる岩盤であるが、やはりこの地も古代から聖地であったと思われる。

無謀な苦労話
  頂上に磐座があり、御嶽山が望むことが出来る、となれば万難を排してでも行かねばならない。急峻な藪の道をただひたすら、狂気の状態で登った。普段は履いている革靴は傷だらけ、女房からは何度も引き返すよう注意を受けたが、ただ猛進するのみであった。途中に女房を置き去りにして行こうかと諮ったが、その場所に帰れるかどうかが分からないので、結局前進あるのみとなってしまった。一時間くらいさまよったであろうか、突然に岩盤の下に出ることが出来た。どうにかして岩盤をよじ登ると、そこからは濃尾平野が開け、麓にはS字カーブをした川が流れていた。遠くには御嶽山らしき山が霞んで見えた。こんな無謀をしたことは始めてであるが、今後はこのようなことは一切行わぬことを誓約させられた。

▲山門の二階には梵鐘が吊られている。写真左上には磐座が見える

▲岩盤と東側の風景

▲岩盤と南側の風景

▲頂上から北東を眺めると中央に御嶽山?が霞んで見える

▲頂上の岩盤
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