旧友彬会館  重森の庭(昭和44年に京都市に作られたが、平成年14年に現在地にに移転)
岡山県吉備中央町
全く新しい庭
  昭和44年に作られたこの造形物は、日本庭園といえるであろうか。鶴亀、蓬莱山などからかけ離れた庭である。基本デザインは友禅染の図案である「束ね熨斗」をデザイン化し、あでやかな色彩を施した。敷石のみによる庭園は四天王寺学園(S38)、正眼寺(S43第一期工事)にあるが、それに比べると、はるかに複雑で、あでやかである。このような造形物こそが、日本庭園を世界的な芸術にすることが出来る。

昭和44年に京都友禅会館中庭に作られた

  当初は敷石の設計であったが、京都市の消防法では3t以上の貯水池が必要であることが判明した。急遽設計を変更し、現在のような水の溜まった状態の庭にした。

復元の経過
  平成11年に友禅会館の移転に伴って、当庭の維持が出来なくなった。しかし、幸いなことに重森の故郷の吉備中央町庁舎が建設されることになったので、旧態を維持することが条件で無償で譲り受けた。
  移転に伴う工事は敷石が中心のため配変な苦労があったが、重森門下生の努力により、ほぼ完全な形で復元された。なお、この浅い池には噴出口が36箇所もあるが、鴨川で友禅染を洗っている状態を表すために水面に漣を作ったのである。京都の友禅会館に作られたときは、噴出口は4箇所しか作ることが出来なかったため、漣がほとんど出来ずに、重森は残念がっていたとのことであった。今回、故郷に復元された庭で、当初の設計思想が実現されたのである。


▲かすかに日本庭園を思わせる箇所は、水の張られた熨斗のデザインの中にある石組みのみ

▲熨斗のデザインは葺き石や栗石により複雑に彩られている

▲吉備中央町庁舎の各方向から眺める

自由な発想の発露

▲漣は賀茂川での友禅染を洗っている様を象徴している

2階の廊下から見たさざ波

北庭:苔地の美しい洲浜模様。一方柔らかな洲浜模様と対立するように、敷石を斜めに切り裂いた白砂のデザイン。このような手法は昭和9年に春日大社、四方家で用いられ、されに東福寺本坊でも再現された。
この手法の背景には、自然風景の写しでは「庭園は芸術に昇華できない」との信念があるからである。即ち庭園のあるべき姿は「人間の完成に基づいた第二の自然・超自然」の創作である。

造形化された洲浜模様
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