12世紀のルネッサンス
ルネッサンスと言えば一般的にはイタリアで始まった14〜15世のことを言う。しかし「中世のルネッサンス」を記したジャン・ギャンベルは中世は暗黒ではなくイタリアルネッサンスが起こるためには、12世紀にフランスを中心として始まった農業革命、都市の勃興、商業の発達があって初めてイタリアで花が咲いたのだ、と主張した。現在ではこの主張が認められているようで中世の歴史に関する本にはすべて彼の言ったことが記されている。広義のルネッサンスは以下のようになる。
1、ルネッサンス
  ・カロリングルネッサンス(8世紀後半から9世紀:カール大帝による欧州の基礎)
  ・12世紀のルネッサンス(12世紀イスラムの文化を取り入れ科学の基礎)
  ・イタリアルネッサンス(14世紀〜15世紀)

2、12世紀のルネッサンス(ハスキンズによる命名)
  ・封建制度の確立
  ・農業革命
  ・商業の復活
  ・都市の勃興
  ・大学の成立

3、農業革命
上記項目が成立するためには、実際に生産力が高まった農業革命が基礎にあったからである。ここでは農業革命の技術的背景を説明したい。
@製鉄工業の発展
  鉄の有効性は言うまでもないが、本には一様に鉄の各種利用について書かれている。しかし鉄 はこの時代よりも1000年も前から製造されているのであって、これでは回答にならないと思う。問 題はなんらかの理由で鉄の大量生産が可能になり、かつ安価になった、ということであろう。
A、考えられる原因
a、良質な鉄の鉱山が見つかった:今のところ不明
b、冶金工学の発展:高炉の発見が考えられるがそれは15Cからと言われている
c、水車によるフイゴの利用:インターネットによる文献検索ではこの項目が出てきた。しかし水車 はローマ時代からあるものだし決定的とは考えにくいのではないか。


参考文献「鉄と人間」 原善四郎 新日本新書 繋駕法・重量犂・水車の利用 参照        d、カムの発見か改良:水車の回転運動をフイゴの往復運動にすることが可能になったことか。
e、需要の増大でコストが安くなった:現代の産業ならいざ知らず、順序が逆ではないか。

B、「鉄の利用と効果」について列挙する。
a、二輪車つき重量犂の犂の刃や車輪、軸などに採用し耕地を深く能率よく耕せるようになった。ギャンベルによるとこの効果が最も大きいとしている『中世の農業においてひときわ光彩を放つものは、溌土板付き重プラウの「発明」である。農業の未来に対して、この発明は馬力の利用や三圃制よりもはるかに大きな結果をもたらした。………中世前期では想像もつかなかった広大な森林地帯や豊かな沖積平野が、この強力な犂の助けを借りて開墾可能になった。』。なお、その結果として馬力のアップ方法の改良がされた、と記されている。


b、犂を引かせる馬に蹄鉄をつけることで能率アップした。
c、開墾作業の道具(鋸、斧、鉈など)が安価に入手できるため、開墾事業が能率アップ。よって耕地面積拡大し、収穫が増大する。

A気候の温暖化
ジャン・ギンベルによると750年頃から1215年頃まで気候が乾燥し温暖化現象(1〜2℃)があったそうだ。その結果森林が後退し開墾しやすくなった。彼は氷河の調査や樹木気候学などから推測している。実際どの程度その影響で農業に影響を与えたのか詳しいデーターがないので判断できないがかなりの影響があったのではないか。 「中世の産業革命」 55P

B馬力アップのノウハウ
a、馬による牽引:馬は牛に比べ牽引力は弱いがスピードが速いため能率がアップした。尚後述するが三圃制のにより燕麦を栽培するが馬の飼料になるため馬が採用されるようにもなった。
ギャンベルのほん63Pでは馬の能力1に対して牛は0.66だそうだ。
b、繋駕法の変更:従来は牛に荷を牽かせるには並列に並んでいたが、この時期からは2匹の牛馬を直列に並べて牽かせるようになった。進行方向にベクトルをあわせるため。この時期になると2列にして8匹に牽かせることもあったそうだ。
c、肩掛け牽綱:従来の馬具は喉ー腹帯式のため喉を詰まらせてしまい牽引力が著しく劣った。しかしこの時期からは胸帯式馬具になり牽引力が2〜3倍にもなったそうだ。なお中国では漢の時代より胸帯式馬具が採用されていたそうだ。もちろん匈奴などの遊牧民族の影響で。
蛇足ながら付け加えると、大掛かりな耕運方法になると個人では出来ないし、能率を上げるため個人個人の柵は取り払われて行われた。その結果村落共同体のありようも変わってきた。


参考文献 ジョセフ・ニーダム著「東と西の学者と工匠」 上巻 79P 

C三圃制(さんぽせい)
輪作の問題を避けるためにローマ時代の農民は二圃制しか知らなかった。三圃制にすればその弊害を避けることが出来るし土地利用率も従来の1/2から2/3に向上した。
参考文献 ジャン・ギャンベル著 「中世の産業革命」67P
       ヨーロッパの膨張の原因

Dシトー派修道院の役割(祈りかつ働け!の集団はヨーロッパで約1500もの修道院を建設した)
上記のような水車、カム軸、二輪車付き重量犂、製鉄の冶金工学、三圃制など全てが数人の百姓が工夫して出来るものではない。修道院のような知的な集団が継続的に探求しなければ出来るものではない、と考える。ギャンベル75Pからではワインや毛織物産業の例で彼らの役割を述べているが、上記のような技術開発も彼らの役割に違いない。

4、まとめ
農業革命は上記の5項目が互いに因となり可となり総合的な力を得、食料は約2倍の増産が行われた。その結果として人口は約3倍にもなり、都市が出来、商業科盛んになり、イスラムを通じてギリシャ、ローマの学問の研究がなされるようになった。
ヨーロッパは膨張し外へ向かって拡大をはじめた。
・十字軍
・レコンキスタ(スペインの国土回復運動)
・エルベ川東側への殖民活動