泊船庵
横須賀市楠ケ浦町 米軍基地内 
  無窓国師が1319年から1323年まで足掛け5年間も住んでいた場所である。この地には「泊船庵」なる寓居を構え、背後の白仙山には「海印浮図」なる三重の搭建てた。現在は1865年に横須賀製鉄所が解説され、明治以降は軍港になり現在は米軍管理下に置かれている。それゆえ、山も海も全く変貌してしまった。現在は「泊船庵史蹟」なる記念碑がある。
  この地は入り組んだ湾に面した尾根があり、その小高い位置に庵を結んだのではなかろうか(現在は製鉄所建設の再掘削し、埋め立ての土砂としたため、その地形をしのばせるものは一切無い)。国師の自然に対する愛着からして、穏やかな内湾に面した風光を楽しんでおられたのではなかろうか。この景色は約2年前まで庵を営んだ虎渓山永保寺の坐禅石からの風景に似ていると思われる。なお、国師がこの地に寓居を移したのは、国師と同郷の三浦貞連による自分の領地の提供による。
  国師は1323年に上総の退耕庵に移られたのは、ここは鎌倉に近いために、執権からの上洛の督促が頻繁のため、静寂を求めて上総に隠遁したのではなかろうか。

備考
  現在は米軍基地内のため自由に見学できないが、横須賀国際交流協会による基地のツアーが催されていて、記念碑を見れる事もある。参加申し込みはhttp://www.yia.info
今回以下の写真を撮影したり、情報提供してくださった国際交流センターの方々に感謝いたします

▲ヴェルニー公園より庵の旧跡を偲ぶ(立体駐車場の後ろ)。三重の搭は背後の山頂か

▲庵は削り取られた尾根の辺りではなかろうか

▲泊船庵から見ていたであろう風景

▲横須賀市役所前の公園