斧原氏庭園 重森三玲の曲水庭(昭和15年) |
西宮市殿山町 個人住宅のため非公開 |
当家で庭園を作るようになったのは、三越の岡田氏が建築を設計された関係(惜しくも震災で消失)で、岡田氏より重森氏に庭園の設計が依頼された。 重森三玲により昭和15年に作られた独創的な庭である。氏の処女作とも言うべき東福寺方丈の次の年に作られた。三玲氏の創造の原点とも言うべきこの作品は、曲水をデザイン化したもので将に抽象芸術といえる。微かに日本庭園を思わせる個所は南側の小高く盛り上げた場所に青石が林立している。従来の日本庭園といえば伏せた石が松の根のあたりにポツンとあるのが一般的であった。しかし此処では厳しい表情の石を林立させ、緊張した雰囲気を醸しだしている。 重森氏の創作を探るとするならば、曲水の抽象デザインは類似の模様を思い浮かべる事が出来ない。また曲水と言えば当然水が流れているのであるが、此処では水に頼らない曲水を演出している。重森氏は創作の初めから枯山水である。林立した石の林も従来の庭園から範をとることが出来ない。要するに過去の類似した部品を寄せ集めたのでは、創作のエネルギーが沸いてこない。一切の模倣を拒否し完全に独立したアイディァを抽出する気概であった。 それにしても昭和15年に、このような抽象的な庭園を受け入れたのだと感心する。さすが重森の有力なパトロンであるから、その独創性を認めたのだろう。また、パトロンといえば東福寺・竜吟庵の造園に関して重森からの寄付依頼を直ちに了解した旨が記されている(日本庭園史体系 No29 107頁)。 庭園の構成 書院前の約60坪の庭である。思い切りデフォルメした出島を左右から交差させ、その間を白川砂を敷いた。手前の出島には苔を貼り、そこに5本の松を直線に植え、奥の出島には芝生を植え色彩的な変化を求めた。出島の奥には築山を設け、そこに青石の石柱を林立させた。手前には鞍馬の玉石敷きと、飛び石を配した。なお、当庭園には45石が使用されているが、大歩危小歩危の石。 自然の素材を使用して超自然の風景を創作した。 |
▲すっきりとパターン化した曲水 |
▲二階から見た蓬莱連山と曲水 |
▲向かい合った二本の出島と白砂から枯曲水をデザイン |
▲この石林は最も初期の作品ですでに出現している。オリジナルな独創 |
▲中心にある三尊式の枯滝と鯉魚石(龍門瀑) |
▲龍門瀑 |
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