龍門瀑の系譜
滝には大きく分けて4種類ある
@神仙蓬莱思想による深山幽谷のさまをあらわす
A作庭記封の不動明王をあらわす
B特別の思想がなく岩組みの面白さをあらわす
C登竜門の故事による龍門瀑をあらわす

龍門瀑とは
  天龍寺や金閣寺などにある。ともに中国の故事にある「登龍門」の由来である鯉が、三段の滝を登って将に龍に化す様を現している。中国南宋よりの帰化僧の蘭渓道隆禅師が中国の故事にある登竜門(鯉が死を賭してまで竜になるべく努力するさま)にならって、修行僧が観音の知恵を得る(悟る)まで、努力をしなければならないことを日本庭園の形で教えている。このテーマを夢窓国師が引き継いで新しい庭園のスタイルを確立した。このようなわけで鎌倉、室町時代は庭園のメインテーマは滝だ。   

▲東光寺・中央部:累々と石が重ねれれていて、中国の庭園を思わせる要素がある。しかし石の材質は
 庭園背後の山裾の石であるから、柳沢家の配石とも考えられる。

▲上記写真の拡大:中央に坐禅石状の石があり、左側上部には平滑な面をした半円状の観音石状の石
  があり、右上には龍門瀑がある。このトライアングルで禅の世界を表しているのではないか。

▲東光寺の龍門瀑
  蘭渓道隆による本邦第一号

▲光前寺の龍門瀑

▲天龍寺  夢窓国師による水の流れる龍門瀑

▲天龍寺  上記龍門瀑の拡大写真(左側が鯉魚石、右上が上段の滝)

▲西芳寺  夢窓国師による枯山水の龍門瀑

▲西芳寺の鯉魚石

▲鹿苑寺(金閣寺)の龍門瀑
、左側には観音石と猿石がある

▲金閣寺の鯉魚石

▲慈照寺(銀閣寺)の洗月泉 構成は金閣寺の龍門瀑に似ているが、山上の石組みが龍門瀑であれば、これは龍門瀑ではないことになる。

▲山上部石組み 江戸時代末期に山崩れで埋もれてしまったが、昭和6年に発掘
  西芳寺に倣って作ったとするならば、枯山水で三段の滝と上中下三段の修行の広場があったのだろうか。
これだけの岩が急峻な傾斜地に組まれているのは、相当な目的と意志があると考えられる。尚、釈迦は楞伽窟(りょうがくつ)と名づけ、悟りの度合いに応じた段に座り、上級者から刺激を受ける場に指導している。

▲大徳寺本坊、枯滝石組   不動尊(左)と観音石(右)が並び、その右が龍門瀑である。
この意味は斎藤先生「図解 日本の庭146頁 東京堂出版」によると
「滝は悟りに至る修行を表す。鯉魚は龍と化し、修行僧は観音の知恵を得る。不動明王は大日如来はの化身として、どのような滝にも内在し、滝に向かうものがあれば何者でも助ける。滝を跳躍飛せんとする者には力を与え、岩に額を打ち付けて瀕死の者を救い上げて助ける。

▲大徳寺(大仙院)龍門瀑  水落石には白い石英の筋が入り、左手前の鯉魚石は跳躍している

▲酬恩庵  峻厳な滝で黒く垂直な石は飛翔した鯉をあらわしている

▲保国寺の龍門瀑

▲村上家

浅野家

▲正覚寺の龍門瀑

▲東福寺・霊雲院

▲松尾大社  現代における龍門瀑