東福寺の四季(本坊)  枯山水庭園  
京都市東山区本町15−775  電話:075−561−0087
東福寺には重森の総てが内包している
  日本庭園の革命児重森三玲氏の実質的な処女作にして代表作である。江戸時代中期より庭園創作の活力が失せてしまっていたが、氏の活動でようやく日本人の血がマグマとなって噴出した。
  東福寺は鎌倉時代創建の禅寺である、氏は禅寺にふさわしい質実剛健な庭を作られた。方丈南庭は約5mの石を基本とした四仙島途白砂により荒海を表現している。一方正面右側には苔に覆われた築山で五山を表し、巨石群と対比させ厳しさを和らげている。次に是非拝観したいのが塔頭の光明院だ。広くてやさしい庭が我々を迎えてくれる。心休まる静寂の庭だ。

聖一国師と唐楓
円璽辨円(えんじべんえん)といい、三井円城寺の学徒として天台の教学を修め、後に栄西の高弟行勇・栄朝について禅を学んだ。1235年に34歳で宋に渡り、在宋6年、無準(あしゅん)の法を嗣ぎ、1241年に帰朝した。1243年に藤原(九条)道家に迎えられて東福寺の開山となった。また当山は紅葉で有名であるが、聖一国師が宋から唐楓を持ち帰り、境内に植えたことから聖なる木として大事に育くまれた。現在は日本の紅葉も含めて約2000本あり、紅葉の時期になると全山紅に包まれる。

▲森閑とした庭園(2/9)

▲実質的な処女作にして代表作の東福寺本坊庭園

▲蓬莱山を象徴する奇怪な石

四神仙島に抽象的に石を立てた。この手法は連続的に変化する立体造形の原点である。
連続的に変化する立体造形の庭について
 一般的な庭の石組みのビューポイントは1〜2箇所である。ところが重森は動くことで立体造形が
連続的に楽しめるような造園手法を創作した。
 その手法は、石を前後左右に複数組むことである。特に手前に縦長の石を組みと造形の変化が
著しい。このようにすると視点が動くことで造形が異なるのである。以下にその例を示す。

西山家(S15) 

村上家(S24)

西禅院(S28) 10島に立石があるため、視点が動くを造形が変わってくる

岸和田城(S28) 大将陣の周りに8陣形があるため

瑞応院(S31) 手前の観音・勢至菩薩が効いている

豊國神社(S47) 三列に組まれているが、手前に石を組むことで奥行きと造形の変化の効果がある
 松尾大社(S50)ほぼ三列に組まれている。手前の石は視野を遮るように組まれているが、
移動することによって造形が動いてくる。なお、奥の築山は自然の山畔に加えて更に高くしてある。
そのため雛段状に石組みがなされることになり、造形が鑑賞者に迫ってくる。

三神仙島(左より方丈・蓬莱・瀛州)には長大な横石を組み立石を強調した

美しい造形で具体的、象徴的ではなく純粋造形とでも言えようか

五山と本堂  この庭からは本堂、庫裏、経蔵、禅堂が見え、最高の環境だ
           白砂と苔地が斜めに分割されているが、重森の芸術観が現れている。
造形を切り裂くデザインについて
 昭和9年に作った春日大社の庭について以下のように書いている。
 ・全庭の七割を苔庭とし、前方三割を傾斜線による直線の白砂敷きとし、超自然様式にした。
つまり、庭園は自然のコピーではなく、「作者の自然」「超自然」「第二の自然」であることを宣言している。
この種のデザイン(片身替りの意匠)の庭を例示する

春日大社(S9年)

四方家(S9年)

西山家(S15年)

桑田家(S34)

常栄寺(S43年)X字型の石組み

サツキが伸びすぎて、重森の意図した造形と色彩が読み取りにくい

「井田の庭」の写真(『庭の美』 重森三玲著 第一芸文社(昭和17年発行) 146Pより)
重森がこのようにサツキを刈り込ん大とはなぜであろうか、それは色彩である。上記本の
172Pには以下のように記述されている。

「・・・庭に花を用いる場合、花として鑑賞する場合と、景として鑑賞する場合と、色彩だけとして鑑賞する
場合がある。前二者は普通従来とてもザラに用いられてきたことであるが、色彩だけとして用いられた例を
識らない。そこで先年私が、東福寺の方丈庭園設計にあたって、西庭に蔓石を入れ、一を白砂に、
一をサツキの小刈込とした。これはサツキの花を愛したのではなく、その色だけを愛する行き方であって、
井田市松模様としたのであった。ここではサツキを蔓石一ぱいに刈り込むことにしているから、花のない
季節には青と白、花が咲くと赤と白の景観
が出来るのである。色だけの対象を作意に入れたことは
ちょっと面白い点である。斯様なことも、今後の日本庭園では試みる必要があり、そこに日本庭園の
新しい前途がある。」


重森はこの思いを石像寺漢陽寺福智院などで実現している。


石像寺(青竜・白虎・朱雀・玄武)

漢陽寺:格子の中は弁柄色、白砂、緑(サツキが咲くととピンクになる)

福智院「蓬莱遊仙庭」

友琳会館

▲北庭は敷石と苔による斬新なアイディアー

『庭の美』 重森三玲著 第一芸文社(昭和17年発行) 110Pより
予てより重森は碁盤目状の模様は、向かって右側部分は暈かしを入れているとの記述があった。
今回、友人の湯村友彦氏より当書を借りてコピーした。お陰様で重森の独創性の片鱗を垣間見る
ことが出来た。このような作者の思い入れを知らずに、安易な評論が出来なくなってしまいました。

このように市松模様と州浜模様を重ね合せた手法の造形を最初期から行っていたことは驚きである。
重森の造形に対する深い思い入れに驚嘆する!
以下に重森の襖のデザインで、単純なデザインから芸術に昇華するプロセスを紹介する。

単純な市松模様(桂離宮・松琴亭)

斜めに切り取られた市松模様(小林家)

市松模様と流水紋の重ね合せ(小河家)

市松模様と半月の重ね合せ、ただし月の部分は白抜きにしている(小河家)

波涛と市松模様の重ね合せ、波涛を襖地に浮き上がらせる(旧重森亭)

青地と銀地の市松模様で牡丹庵に因んだ、白牡丹のおおきな花弁を襖地に浮かび上がらせた。造形化の極みと言えまいか。(西条市・越智家)




当図面は庭園史体系に記載されている設計図に、上記写真を参考にして苔地と白砂じの境界線を
書きいれた。

当写真は苔地の洲浜を中心にして上記境界線を書き入れた。
ただし、広角レンズで撮影したために、平面的な設計図とは異なり、手前側がより大きく映っている。

北斗の庭の全景

素材の石柱は旧東司の石を活用
。このアングルが石のリズムと質感が現れる

▲道場の門

▲禅堂

▲国宝三門
と思遠池に架かる橋

須弥山石(鶴亀島の造形である鶴島の羽石は須弥山石そのものだ)

▲鶴島越しに山畔の枯滝をのぞむ  詳しくは普門院参照

▲鶴島(左)と亀島(右)

▲開山堂                           ▲普門院

▲唐楓の樹海と通天橋

▲通天橋から紅葉を狩る

▲通天橋を望む

▲柱の森
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