カンボジア紀行 |
クメール帝国の経済基盤 歴代の諸王は次々にバライと呼ばれる大貯水池、網の目のような配水路、運河、環濠、橋、堤防などの水利施設建設に奔走した。現在の遺跡配置図から見ても幅広い環濠、大きな面積を占めるバライ、水路、縦横に走る土手道などが目につく。これらの水利施設は雨季の集中豪雨による洪水を防いでいた。雨季の大量の排水と乾季の水の確保がアンコール王都では整然と機能していたのである。中でも有名なのは九世紀末にヤショバルマン一世が作った「東バライ」と言う人工湖だ。其の規模は東西7km、南北2kmあった(現在は涸れている)、其の後歴代の王によって「西バライ」が作られ東西8km、南北2kmもある。 これらの灌漑システムが有効に機能した為広大な面積を稲作する事が可能になった。 古来ナイル川、チグリスユーフラテス川、黄河などには文面が発達した。 このインドシナ半島にはメコン川があるが、必ずしも巨大な文明が発達した様子が無い。 文明が発達する為には、大きな川が流れているだけでは治水が不十分である。文明が発達する為には川の回りが平野であり、治水可能な適当な大きさの川があり、其の川が適度に氾濫し、新たな栄養分を含んだ泥を供給し、且つ、乾季には人工湖から水を供給する灌漑システムが完備している事である。そのためには安定した王権が確立し、適度な土木工事と有効なメンテナンスがされなければならない。 ではこのクメール帝国は何故滅んだのであろうか。推測であるが、チャンパ軍(中部ベトナム)、ジャム軍(たい)との長い戦いで国土は疲弊し、灌漑用水路のメンテナンスシステムがほころび、徐々に国力が衰えたのではなかろうか。 |
歴代王朝の建造物 創建者 700 800 900 1000 1100 1200 1300(年) ヤショヴァルマ1世 ← →プノン・バケン ラージェントヴァルマン2世 ← →プレ・ループ ラージェントヴァルマン2世 ← →バンテアイ・スレイ ウダヤーディテヤヴァルマン2世 ←→クバール・スピアン ジャヴァルマン2世 ← →アンコール・ワット チャンパ軍(中部ベトナム) 1177〜1190チャンパ政権 ジャヴァルマン7世 ← →アンコール・トム ジャヴァルマン7世 ←→タ・プロム ジャヴァルマン7世 ← →バイヨン ジャヴァルマン7世 ←→象・ライ王テラス |