天竜寺 龍門瀑・石橋テーマの元祖 平安・鎌倉時代
京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町68  電話:075−881−1235
 夢窓国師が西芳寺を作り始めた頃、突然に後醍醐天皇が吉野で崩御され、天竜寺を創建することになった。夢想国師は両方の寺で龍門瀑のテーマで庭を作ることになった。西芳寺は修行の滝であるが、天竜寺の鯉は修行の鯉ではなく、後醍醐天皇は既に示寂して、悟りに入っていなければならない。そのため鯉は龍門を登りきって龍と化している。と、なると滝の前の尖った石は龍の角に見えてこないだろうか。
龍門瀑とは
  天龍寺や金閣寺などにある。ともに中国の故事にある「登龍門」の由来である鯉が、三段の滝を登って将に龍に化す様を現している。中国南宋よりの帰化僧の蘭渓道隆禅師が中国の故事にある登竜門(鯉が死を賭してまで竜になるべく努力するさま)にならって、人間が観音の知恵を得る(悟る)まで、努力をしなければならないことを日本庭園の形で教えている。このテーマを夢窓国師が引き継いで新しい庭園のスタイルを確立した。このようなわけで鎌倉、室町時代は庭園のメインテーマは滝だ。    

天竜寺・本坊

▲全景  龍門瀑、三橋式石橋、出島、荒磯
  夢窓国師は従来の庭は池の中に鶴島、亀島があるのが常識であったのを、メインテーマを滝のみにした。しかし、この土地は後嵯峨天皇が作った池泉舟遊式の庭があった。夢窓国師が出島のあたりをどの程度改修したものかはハッキリしていない、と思う。このような出島形式は平安時代よりの伝統があるので、地割はそのままにして、そこへ石を置いたのだろうか。

▲出島より中心部を望む

龍門瀑と三橋式石橋
  龍門瀑の他に意味がありそうなのが三橋式石橋、なにを意味しているか不明
  右下のとがった岩島も不明。斉藤先生は龍にちなんで龍の角ではないかと推測している。
  この滝は龍門爆の滝として後世に決定的な影響を与える。

▲龍門瀑

高梨家の観音石
観音石は龍門瀑の造形に付属して現れる。願勝寺の頂部、鹿苑寺龍門瀑左側の白衣観音である。
天龍寺の滝組頂部にある観音石は高梨家(中野市)の石にそっくりである。偶然に同じ形であるのではなく
そのために選ばれた石である。

▲左の巨石(高さ184cm、幅120cm)が碧巌石。碧巌録に基づいて作庭されたことが分かる。
 以後、禅寺の碧巌石の基準となる

▲亀頂搭跡(大井川沿いの亀山の頂上にある)にも坐禅石がある


▲庭園左側の景色  なかなかの景色、横長に石が配列されている。左端は何の石か

▲上記写真の拡大  松の下の岬のような景色は何を表現しているのだろうか、磯の風景か

  このデザインと似ているのが浄瑠璃寺ではなかろうか

▲出島 なかなかの景色
  元は全部をこのような石で曲線を作るのではなく、毛越寺(平泉)、平等院のように玉石のみか、岩と玉石の組み合わせであったのではなかろうか。

▲王朝風の部分の荒磯の風景
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鯉魚石
碧巌石
龍の角


水落石
水落石
水落石
観音石