龍安寺  室町時代  枯山水庭園の原点  世界遺産
京都市右京区龍安寺御陵下町13  電話:075−463−2216
  早朝の龍安寺境内は掃き清められていて、禅寺特有の張りつめた清浄感が感ぜられる。例の石庭はあまりにも有名であるが、その誕生に関しては諸説ある。その一つとして七、五、三は分解することが出来ない数字で、めでたい数とされ、またこれにより森羅万象が生ずると信じていた。例えば魔方陣のように縦、横、斜とどの方向に三つの数を加えても和は十五になることから、数字に宇宙の神秘を見出していた。即ち陰陽五行説である。この龍安寺の庭は真珠庵のような完全な七五三からなっているのではなく、左から五、二、三、二、三からなっていて、またどこから見ても十四石しか見えないことから、益々なぞを深めている。

  石の配置とは別に材質について考えてみると(最近石に付着した苔を除去したようだ)、大変吟味がしてあることがわかる。赤い石、青い石、丸い石、細長い石、角張った石などからなっていて、無造作な15個の石ではないことがわかる。それぞれの特徴ある石群が高く、低く、手前に、奥にと組まれている。
  この庭園を寺の名前から解釈する説がある(澤田天端氏を野村勘治氏が旅に出たら寄ってみたい庭30 小学館で紹介している)。ずばり「龍が安まる」なので当寺の下段にある池(鯉の住処の潭にみたて)から鯉が階段(三級岩)を昇り龍になった様子をあらわしている。方丈前の白州には右側を龍の頭とし両手、両足はって蛇行している様を表している。確かの寺号は最も端的にその寺の由来を表すものである。
  では、龍のつく寺の庭について見てみると天龍寺(本坊)は亡くなった後醍醐天皇を弔らうためで、庭はまさに天に昇る様子を象徴化している。また大徳寺(龍源院)も雲海を龍がを蛇行している。尚、現代の庭であるが東福寺(龍吟庵)は龍がとぐろを巻いている例がある。

  寺の方丈に面した最も重要なところに、岩をポンポンと置いただけに見える庭は一体どのような人物が創らせたのであろうか。寺は細川勝元が徳大寺公有から譲り受けた。その後勝元の子の政元が母の三回忌のために方丈を建てた。このときに庭も創られたと言われている。彼は父の17回忌の時に、喪主でありながら烏帽子も冠らずに、粗末な狩衣ですませたそうだ。型にこだわらない人物のようだ。織田信長を髣髴させる。
  さて、この庭は1797年に焼失しており、焼けた痕跡の残る壁の内
のレベルが外側より50cmほど高いことから「新たに整地し直した所に以前の石を掘り起こして作り直した」などの説がある。いずれにしてもこの空間は「庭園とは石の空間芸術」であるということをよく表している。

観賞のポイントは5つの石組群の繋がり(有機的関連)を考えて観賞すると、思いつくことがあると思う。
美的な観点よりも、ここでは石のつながりについて参考になる写真を掲載した。

  尚、この庭園を観賞するときに、壁の向こうに見える山や木立などを借景と称して、合わせて理解しようとする様子が度々見受けるが、いかがなものであろうか。この壁により外界は見えても見え無い事とになっているのであり、庭園とは壁の内側にある石の配置こそが生命なのである。芸術は自然そのものを観賞するためではない、と思うから

虎の子渡しの伝承
  トラは三匹の子を産むと一子は彪(ひょう)で、母虎がいないと他の二子を食ってしまうとのこと。そこで川を渡る時は、まず彪を先に渡しておいて、次に一子を渡して彪を連れて帰り、次には彪を残して別の子を渡し、最後に再び渡す、という伝説である。窮地の創意工夫を意味しているとも言われている。
禅宗による枯山水の庭誕生の歴史的背景はここをクリック禅の庭誕生の背景

▲桜

▲龍安寺玄関

                      ↑視点

▲白砂の中に15個の石を配置しただけ。5つの石群はバラバラにあるのではなく、余白部で繋がっている。

▲最も手前の丸い石は目立たぬように、深く埋めているが、ここの石群が東側に流れないように止めている。
 主石の東の小さな石は奥の3群との関連を持たせ、かつ塀際の石と有機的に繋がっている

東側よりの全景

▲竜安寺にも華やかな時期が訪れる

▲雪の龍安寺

▲5石よりなる最も大きな石群。東側の壁際にあるが西側4群の流れを受け止めている。
 中央の巌を支えている2石、やや離れた2石は役割が異なり、特に右端の石は重要な石だ。
 鶴が右に向かって飛んでいるようにも見え、右端の石群が亀のように見え、対を成している。
 最も抽象的な鶴亀蓬莱の庭とも解釈できる。

▲壁際にある伏せた石はソフトな感じを与える。この石の壁側に作者と思しき名前が刻まれている

 左側の小さな石は手前に向かっていて、上記写真の右端の石と繋がっている
 方丈から見るとほぼ中央のこの石が目に入るが、蓬莱山的でもある

▲右側の三群
。奥の二群は反対向きに動いているかのようだ。右端の石組みは方丈方面を向いている

▲中央にあるニ群の石組みは白い筋の入った青くて丸いい石と角張った石組を対照させている

  動いている方向も逆を向いているかのようだ

▲穏やかな形と盆栽的配置でもあるが、横三尊石(西側から見ると一般的な三尊石)

 左側に向かっている三匹の虎(親虎が二匹の子虎を連れている)伝説の根拠か

▲左の石は火山の溶岩のごとく焼け爛れている
 右側の親虎が左側の彪を連れているようにも見える

▲ピンクの石英質からなっていて全面に細かなヒビが入っている名石である。
亀のようにも見える

▲左側の二つの石組み群。 右下の小さな石は壁際の小さな石(手前に向かっている)と繋がっている

南側壁際から(手前左の石は蓬莱山、右下の石は東側の小石にリンク)

西側の壁際からの全景

方丈東側から数えて、第三群(横三尊)、四群の石組はま西に向かっていない。

▲桜の時期は一層去りがたい

▲鏡容池に浮かぶ弁天島。後ろの山は衣笠山
 
▲朝のお勤め                          ▲夕陽を背に

▲龍安寺への道
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