東福寺・霊雲院 重森三玲の枯山水の庭 (昭和15・46年) |
京都市東山区本町15丁目801番 電話:075-561-4080 |
沿革 霊雲院は1390年に岐陽方秀のよって開かれ、はじめは不二庵と称していた。第七世の湘雪守元は、肥後熊本の人で藩主細川忠利(三斎の子)と親交があり、その子の光尚は岐陽方秀を篤く帰依していた。和尚が霊雲院に住職されるときに500石を送ろうとしたが、「出家の後、禄の貴きは参禅の邪気なり。庭上の貴石を賜れば寺宝とすべし」と申された。そこで細川家では、「遺愛石」と銘をつけ、須弥台と石舟を作って贈られた。 庭園 重森三玲氏が1970年に作った庭が二つある。「遺愛石」と中心に修復した九山八海の庭(S45)と寺号に因んだ臥雲の庭(S46)である。尚「九山八海」とは須弥山世界はこの世界は九つの山脈と八つの海からなりその中心が須弥山であると、言われている。また「九山八海石」は金閣寺(鹿苑寺)にある。 重森三玲氏の庭は当山内では東福寺(本坊) 東福寺(光明院) 東福寺(龍吟庵) にもある。さらに復元した庭が東福寺(芬陀院)にある。 |
▲霊雲院への参道 ▲三門前の石畳の意匠 |
▲九山八海の庭 |
▲細川光尚から送られた「遺愛石」と銘された九山八海石と須弥台と石舟 |
「遺愛石」拡大 |
▲九山八海の庭の枯滝 下にある石は跳躍しようとしている鯉魚石ともいえる |
▲臥雲の庭 重森三玲氏が1970年に作庭した。寺号の霊雲にちなんで、蛾々たる山裾に湧き上がる雲、ほとばしる激流は雲を潜り、大河になりやがて大海に注ぐ。 |
▲大河の源流は龍門瀑(臥雲の庭) ▲建設時の龍門瀑(霊雲院提供) |
▲三尊風(1.5m)の枯滝と鯉魚石、栗石は室町時代風 |
▲龍門瀑拡大(右側から) |
▲龍門瀑拡大(左側から) |
▲霊雲院にちなんだ二重の雲紋 |
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