南禅寺・南禅院  庭園は夢窓国師によるもので西芳寺の原型になる
沿革
  南禅院は南禅寺発祥の場である。1264年に弟90代亀山天皇が山水明媚のこの地を愛されて離宮禅林寺を営まれた。天皇はその後当寺の開山仏心大明国師に深く帰依され法皇隣1291年には離宮を施捨して禅寺とした。開山は大明国師、開基を亀山上皇。その後96代の後醍醐天皇が名声の高い夢窓国師を二度にわたり招聘した。
庭園
  当庭園は二度目に寺住となられた1334年ころ作られたのではなかろうか。1315年多治見に永保寺の坐禅石の修行道場を作ってから、約19年経ち、西芳寺を1339年に作るに5年前である。
  永保寺の雄大な景色を主体とした修行の場(庭園)が、いきなり西芳寺の「洪隠山枯滝」岩組みが出現したのには違和感があった。しかし南禅院の坐禅石の発見でその違和感は解消した。即ち、滝組の前に坐禅石を置き修行の場とする事の原型がここに完成した事を理解したのである。夢窓は雄大な景色の場所を修行の場として選び全国を逍遥していた。しかし街中の狭い場所であっても、滝と坐禅石と見晴台(鎮春亭)があれば雄大な自然の道場と同じである、とみなしたのである。禅庭園完成!

夢窓国師・禅庭園完成のプロセス
  下記の表を大まかにくくると、次のようなプロセスを経過して、大自然の中の修行の場所から、自然の要素を抜き出した場所(庭の原型)が形成され、最終的には鹿苑寺、慈照寺において観照的な要素を含んだ庭園が完成する。
1、大自然の渓流・滝・海の見える高台または川沿いの坐禅窟で修行した
2、坐禅窟の代わりに坐禅石の場合もある(多治見の永保寺)
3、夢窓国師は京都の市街地においては、大自然を取り込む形にした場所(庭)で坐禅した
 @坐禅の場所は坐禅石
 A大自然の眺望は背後の山の頂きに庵を建てる
 B自然の滝は象徴的な龍門瀑になる
 C渓流や海は人工的な池になる(新しく作る場合もあるが、従来からの池を利用する場合が多い)
4、夢窓国師以降は禅的な要素を含みつつ、観賞的要素が多くなる(鹿苑寺、慈照寺)
夢窓疎石(国師)の略歴
                                   
 詳しくは「夢想国師の系譜」
西暦
年齢 元号 天皇
(北朝)
大別 夢窓疎石の遍歴地と事項 修行場所の環境
坐禅場 眺望
1274 0 文永11 後宇多91 夢窓伊勢に生まれる ー  ー  ー  ー 
1278 4 弘安元 ー  天台宗 国師4歳のとき伊勢から甲州に ー  ー  ー  ー 
1283 9 ー  ー  平塩山寺で空阿に学ぶ なし やや良好 後世の庭あり
1292 18 ー  ー  奈良戒壇院で慈観律師より受戒 ー  ー  ー  ー 
1293 19 永仁元 ー  禅宗悟りへの修行 禅宗に一生を過ごすと決意。建仁寺(無隠円範)、東勝寺(無及徳詮)、建長寺(葦航道然)、円覚寺(桃渓徳悟)、建長寺(癡鈍空性)、建仁寺(無隠円範)、来朝僧の一山一寧への参堂
1300 26 正安2 後伏見93代 松島(瑞巌寺)と那須・雲巌寺に逗留 坐禅窟 良好 ー  ー 
1301 27 ー  後二条94代 再び建長寺の一山に参じ、円覚寺にも随侍したが印可得られず
1303 29 嘉元元 ー  万寿寺の仏国国師に参ず。問答するも理解できず奥州白鳥(諸説あり)
1304 30 ー  ー  常陸の内草山で坐禅(諸説あり) 坐禅窟 良好 ー  ー 
1305 31 ー  ー  ・常陸国臼庭にて大悟
・浄智寺の仏国国師より印可→帰省
坐禅窟 良好 ー  ー 
1306 32 徳治元 花園95代 聖胎長養

遁走の旅
夢窓は甲斐の浄居寺へ(諸説あり) ー  やや良好 ー  ー 
1311 37 応長元 ー  龍山庵(諸説あり)への類焼を法衣を着て巌上で坐禅し風向きを変えた 坐禅石状 やや良好 ー  ー 
1313 39 正和2 ー  仏国国師が上野・長楽寺に推挙を知り、都合7年いた甲州から、密かに富士五湖経由で虎渓山へ脱出
1314 40 ー  ー  多治見に永保寺観音閣建つ 坐禅石 五老峰 飛瀑泉 あり
1317 43 文保元 ー  虎渓(都合4年)から上洛北山に寓す ー  ー  ー  ー 
1318 44 文保2 後醍醐96代 執権高時の母、覚海夫人を避け土佐へ。吸江庵・竹林寺作庭 ー  良好 ー  あり
1319 45 元応元 ー  覚海要請で土佐から鎌倉に帰る
横須賀に泊船庵建つ
坐禅窟あった 良好
(海印塔)
ー  眼前は海
1321 47 元亨元 ー  泊船庵建搭「海印浮図」(足掛け5年間) ー  ー  ー  ー 
1323 49 元亨3 ー  退耕庵「金毛窟」にて坐禅(2年半) 坐禅窟 良好 ー  ー 
1325 51 2 ー  政権に翻弄
・作庭
・政治顧問
後醍醐天皇上洛の勅使南禅寺 ー  ー  ー  ー 
1326 52 嘉歴元 ー  執権高時の寿福寺行きを断り、伊勢に善応寺開き、熊野、那智へ ー  ー  ー  ー 
1327 53 ー  ー  浄智寺応、鎌倉錦屏山に瑞泉寺開創 坐禅窟 遍界一覧亭
(眺望良)
あり 岩盤
1328 54 ー  ー  「遍界一覧亭」と坐禅窟、高時円覚寺請ずるも赴かず ー  ー  ー 
1329 55 元徳元 ー  やむを得ず円覚寺に住す。貿易船利益の寄進で円覚寺復興す
1330 56 2 ー  甲州に行き恵林寺開山、作庭 ー  ー  あり あり
1331 57 元弘元 (光巌) 甲州より瑞泉寺に帰る。執権高時建長寺に請ずるも赴かず
1332 58 元弘2 ー  再び恵林寺に。[播磨の瑞光寺(弟子が関与か)] ー  ー 
1333 59 3 ー  北条滅亡、京都環幸、臨川寺入寺 ー  ー  ー  ー 
1334 60 建武元 ー  南禅寺(南禅院)に再住 坐禅石 鎮春亭 龍門瀑? あり
1339 65 ー  後村上
97代
西芳寺(苔寺)作庭
天龍寺(歴応寺)夢窓開山
坐禅石
不必要
縮遠亭
亀頂搭
龍門瀑
龍門瀑
あり
あり
1351 77 ー  ー  夢窓臨川寺寂 破壊されてしまって不明
1397 国師没後46年目 西芳寺に倣って鹿苑寺建立 坐禅石 看雪亭 龍門瀑 あり
1489 国師没後138年目 西芳寺に倣って慈照建立 なし 超然亭 不明 あり

▲外観

▲鶴島(左側)と亀島は亀山離宮時代からあったものではなかろうか

▲鶴島と滝

▲滝と鶴島の羽石

▲この滝は本来龍門瀑であったのだろうか。
坐禅石は傾斜地にあるため、土砂崩れで崩落し下部の鶴島に落ちていた可能性がある。現在の岩組みが何時組まれていたのかは、想像するしかないが。滝は龍門瀑で坐禅石はその周りにあったものと推定する。

▲滝と坐禅石(写真右)

▲見事な坐禅石と滝

▲地割は西芳寺、等持院などと類似している。但し左側の亀島は後世の補修などで初期の様子がわからない

▲池泉の形は穏やかな曲線を描いている

▲当園には二つの池があり古い様式である。島の岩の一部は岩盤である。

▲下池には岩盤を利用した島と岩盤の岩島がある

▲方丈より

▲方丈内部
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