世界芸術としての日本庭園  重森三玲作品集
九位一体の重森三玲
  私は重森教の信者である。この教祖様は現代日本庭園の革命児と言える。師は明治29年岡山に生れ、東京で学んでいるころより作庭、生け花、茶を始めていた。

  東福寺の革新的且つ伝統的な庭は既に昭和14年、43歳で作られた。考えてみれば日本を代表する芸術である庭園も江戸時代になると意味が判らなくなり、形式や手法をそのまま踏襲するのみで、殆ど創作が見られなくなった。いわゆる庭師が作る庭は親方から伝えられた古の庭のコピーであった。師は日本庭園を中心としたいわば「日本学」の復興を目指したと言える。
  先生の人物像を一口で括ることが出来ない巨人である。私の思いつくままに列記させていただくと
@作庭家    :生涯に作庭、改修にした庭は198庭
A庭園研究家 :地割、歴史に関する膨大な知識。昭和7年「京都林泉協会」創設。亡くなるまで会長
B教育家    :最も重要な事は、先生を慕うすべての人が心から弟子になったこと
C実測士    :昭和11年第一回実測開始。昭和14年完結、「日本庭園史図鑑」(全26巻)
D写真家    :画期的な大著である上記「日本庭園史図鑑」(全26巻)は自ら撮影した(銀板写真)
E著述家    :昭和46年に不朽の名著「日本庭園史大系」完成(全35巻)
F生花研究家 :勅使河原蒼風氏らとともに「新興いけばな協会」創設。昭和5年(34歳)
G茶道家    :自由な創作茶と同じに茶室設計家でもある。毎年の初釜の会が思い出される
H愛妻家    :ママ、ママ

芸術に昇華した日本庭園 
  師は作庭のバイブルと言われる作庭記をもじって「新作庭記」を記しているが、その中で概ね次のようなことを述べられている。
 人はなぜ庭園を必要としたかの原点から考察した。即ち古代人においては自然は絶対的なもので言わば神であった。ところが仏教の伝来により、人間は仏教の神により従来の自然の神から解放されることになった。日本庭園が大自然の再現だとすると人間は従来の自然神を否定することにより、新たに人間の神を創造することになる。もちろん自然の再現と言っても、大自然をそのまま縮小コピー出来るわけもなく、しても意味がない。そこで意味のある形を再現するためにはどのようにしたらよいのか。そのためには自然の中の急所を作者の心を通じて抽出することである。言わば意訳することが必要なのである。
 従って現代においては現代語でもって自然を意訳することで、価値ある庭園が誕生することになる。   
磐座、磐境の庭の石組み 社会思想社刊、日本庭園史大系月報 昭和49、12より
 
磐座(いわくら)や磐境(いわさか)はもとより庭園ではないから、この石組みは全く庭園的な石組みではない。特に磐座は石そのものが神格化されたものであって、それだけに、この石を組むことは容易な術ではない。
  石そのものを神として組むことであるから、神を作る作者は、同時に神の立場に立って組まぬ限り磐座とはならないが、それかといってそれは不可能なことである。したがってそれはむしろ、どのようにしたら多少でも神に近づくことが出来るか、の問題である。ただそれには、少しでも自らが純粋になり切ることよりほかはない。しかしそれとて、言易くて容易なことではない。…………今度の磐座や磐境を作ったときほど疲れを覚えたことはなかった。………
  筆者はこの石組みをするにあたって、前述のように、最高度のものを作りたいという念願から、ともかく一生懸命になりきることが出来た。自ら純粋性を得るためには、全て奉仕的な対場を取ることが唯一の良法であるから、金銭的な面には一切絶縁できるように、神社側に依頼したことは良かった。
  この石組みをするにあたって、最初から容易でないことは解りきっていた。。一切の技巧的なものは出すことを許さない。石を組む上で技巧と言うものがあるとすれば、この場合は全く無技巧の技巧ということだけである。神の存在に接近することを念願しつつ、神としての感覚のひらめきのみが必要である。石が立つまま、傾斜するまま、そこに極度に細密な神経をつかいながらも、神としての石の命令を受けて、石の「そのまま」とか、「もうよい」とか、「このように起こせ」とか、「ここまで深く入れよ」といった、言葉にならぬささやきに神経を尖らせているのである。それは、単に松尾大社の猛霊の意のままに、石を扱ったのであった。
  この文章ほど神の庭を作るに当たっての、心構えを伝えるものはないと思う。文中のように作庭中に非常に疲れたと書いておられるが、鎌倉風の庭を作る前に亡くなられてしまった。将に命と引き換えにこの上古の庭を作られたのだと、思う。…………
思い出

 信州から出て来た父と先生を吉田山のご自宅を訪問した。奥さんが「松尾大社で石を立てています」、とのこと。早速現地にお尋ねすると、絶作となってしまった「松尾大社上古の庭」の最後の仕上げをされているところであった。翌日に改めてお宅への訪問を促がされた。その折りに「刻々是好刻」という本に「無事」と記され、手渡された。意味をお尋ねすると、禅語録に「無事是貴人」があるとのこと。赤面の至りである。

重森三玲の代表作品
 当サイトでは非公開の個人庭園も含まれているが、重森三玲の作風を理解する意味で協力していただいた。よって写真の無断掲載や許可を得ない訪問などは控えていただきたい
西暦 紀元 年齢 庭園名 場所 備考(個人庭は非公開が多い)
1896 明29 0 誕生 岡山県上房郡吉備中央町賀陽
1915 大4 19 天籟庵茶室 岡山県上房郡吉備中央町賀陽 昭和44年移築
1924 大13 28 重森生家の庭 岡山県上房郡吉備中央町賀陽 天籟庵の庭
1929 昭4 33 西谷氏 岡山県上房郡吉備中央町 旭楽庭 非公開
1934 昭9 38 春日大社 奈良県奈良市春日野町 三方正面七五三磐境 非公開
四方氏 京都府 海印山荘 非公開
1937 昭12 41 春日大社 奈良県奈良市春日野町 稲妻形曲水  非公開
1939 昭14 43 東福寺・本坊 京都府京都市東山区本町 八相・市松・北斗・井田庭
東福寺・光明院 京都府京都市東山区本町 波心庭
1940 昭15 44 西山氏 大阪府豊中市岡町 青龍庭  学術調査は可
斧原氏 兵庫県西宮市殿山町 曲水庭 非公開
井上氏 大阪府大阪市生野区 巨石壷 非公開
1949 昭24 53 村上氏 兵庫県西脇市 曲泉山荘 学術目的のみ
1951 昭26 55 小倉氏 岡山県上房郡吉備中央町賀陽 曲嶌庭 非公開
1952 昭27 56 安田家・白水庵 奈良市南新町5-1 白水庵  公開
西南院 和歌山県伊都郡高野町
桜池院 和歌山県伊都郡高野町
正智院 和歌山県伊都郡高野町 明神岩前の枯山水
石清水八幡宮 京都府綴喜郡八幡町 鳥居の庭、社務所庭園は非公開
1953 昭28 57 光臺院@ 和歌山県伊都郡高野町 龍池庭
西禅院 和歌山県伊都郡高野町 茶庭
本覚院 和歌山県伊都郡高野町
岸和田城 大阪府岸和田市岸城町 八陣の庭 
1954 昭29 58 少林寺 大阪市中央区高津1-20-30 七五三枯山水 非公開
木野戸氏 香川県高松市 枯山水・茶庭  非公開
1955 昭30 59 河田氏 京都府京丹後市網野町 非公開
前垣氏 広島県東広島市西条上市町 枯山水「寿泉庭」 非公開
1956 昭31 60 瑞応院 滋賀県大津市坂本 楽紫の庭、如々庭 非公開
増井氏 香川県高松市 雲門庵(枯山水・茶室)非公開
1957 昭32 61 岡本氏 愛媛県西条市氷見 枯山水「仙海庭」 非公開
越智氏 愛媛県西条市氷見 枯山水「旭水庭」 非公開
越智氏 愛媛県西条市氷見 茶室「牡丹庵」・露地 非公開
1958 昭33 62 医光寺 島根県益田市東町 通称雪舟寺の修理
1959 昭34 63 田茂井氏@ 京都府京丹後市網野町朝茂川 非公開
1960 昭35 64 臼杵氏 香川県高松市 非公開
都竹氏 大阪市生野区 非公開
1961 昭36 65 香里団地 大阪府枚方市香里丘6 以楽苑 春秋の特別公開
大徳寺・瑞峯院 京都府京都市北区紫野 独座・閑眠庭、林泉30周年
真如院 京都市下京区猪熊通五条上る 特別公開のみ
林昌寺 大阪府泉南市信達岡中 法林の庭
山口氏 兵庫県西脇市高田井町253
1962 昭37 66 志度寺 香川県大川郡志度町 無染庭(改修)
桑村氏 兵庫県多可郡 非公開
東福寺・光明院 京都府京都市東山区本町 雲嶺庭
1963 昭38 67 衣斐氏 兵庫県西宮市殿山町 非公開
四天王寺学園 大阪府大阪市天王寺区元町 j女学校のため制限される
教法院 京都市上京区寺之内通新町 往復はがきにて申請
興禅寺 長野県木曽郡木曽福島町 看雲庭
光臺院A 和歌山県伊都郡高野町 新書院
1964 昭39 68 東福寺・竜吟庵 京都府京都市 秋季特別公開あり
1965 昭40 69 北野美術館 長野県長野市
貴船神社 京都府北区 天津磐境
1966 昭41 70 住吉神社 兵庫県多紀郡篠山町 住之江の庭
1967 昭42 71 浅野氏 京都市北区衣笠鏡石 非公開
光清寺 京都府京都市 心和の庭  非公開
1968 昭43 72 常栄寺 山口市 枯山水  非公開
1969 昭44 73 中田氏 長野県松本市出川町 江戸時代の庭改修 限定
旧畑氏 兵庫県篠山市 蓬春庭  現篠山観光ホテル
旧重森亭 京都府京都市 好刻庵 予約公開制
天籟庵茶庭 岡山県上房郡吉備中央町賀陽
漢陽寺@ 山口県周南市大字鹿野 曲水の庭
漢陽寺A 山口県周南市大字鹿野 蓬莱山の庭
漢陽寺B 山口県周南市大字鹿野 地蔵遊戯の庭
漢陽寺C 山口県周南市大字鹿野 九山八海の庭
1970 昭45 74 久保氏 兵庫県伊丹市東野6-4
田茂井氏A 京都府京丹後市網野町朝茂川 蓬仙寿 公開
深森家 大阪府豊中市 非公開
竹中氏 京都市左京区下鴨茶ノ木町 非公開
正眼寺 岐阜県美濃加茂市伊深町876 観音像前庭
東福寺・霊雲院 京都府京都市東山区本町 九山八海の庭
正覚寺 兵庫県多紀郡篠山町 竜珠の庭 予約必要
1971 昭46 75 東福寺・霊雲院 京都府京都市東山区本町 臥雲の庭
芦田末次郎氏 兵庫県尼崎市上食満27 非公開
小林百太郎氏 大阪府堺市北三国ヶ丘 非公開
1972 昭47 76 石像寺 兵庫県氷上郡市島町中竹田 四神相応・句碑の庭
豊国神社 大阪府大阪市東区大阪城内 秀石庭、林泉40周年記念
善能寺 京都市東山区 遊仙苑
岸本家庭園 大阪府高槻市 非公開
1973 昭48 77 泉涌寺・本坊 京都市東山区 非公開
漢陽寺D 山口県周南市大字鹿野 瀟湘八景の庭  非公開
漢陽寺E 山口県周南市大字鹿野 玉澗流庭園
1974 昭49 78 東口鶴次郎氏 大阪府堺市 非公開
本休寺 兵庫県多紀郡篠山町本明谷
八木氏 京都市東山区清水道 非公開
1975 昭50 79 福智院 和歌山県伊都郡高野町 昭48:池泉・枯山水・流れ
昭49:愛染庭第一期工事
昭50:愛染庭第二期工事
松尾大社 京都府京都市嵐山宮町3 磐座・曲水・池泉・枯山水

▲重森三玲先生による林泉
 
▲先生の記念撮影                    ▲「曲水の庭」作庭中の先生

生家の庭
  岡山県賀陽の自邸に作った処女作(1924年、大正13年、28歳).。
  将来を予感させる荒削りながらも迫力のある枯山水

西谷氏 個人住宅のため非公開

▲春日大社  重森は始から枯山水を指向した  三方が正面の枯山水   非公開

四方氏  個人住宅のため非公開

▲春日大社   非公開   Z型の枯遣り水は重森の独創

東福寺 実質的な処女作にして代表作の東福寺本坊庭園

東福寺・光明院 「波心庭」 塔頭の光明院は静かで広く心休まる庭、ちょうど桜吹雪であった

西山氏庭園   事前許可制

斧原氏庭園 個人住宅のため非公開

井上氏  非公開

村上氏庭園  事前許可制

小倉氏庭園  個人住宅の庭園の為ため拝観には特別の配慮が必要

▲西禅院@

▲安田家・白水庵   非公開

▲西南院

桜池院

正智院

石清水八幡宮庭園 

光台院@

西禅院

本覚院

岸和田城
天守閣から俯瞰すると一層この庭の雄大さが実感できる。先生は「飛行機から見る事が出来る庭」を意識されたそうであるが、そのアイディアの奇抜さに驚く。

▲少林寺

木野戸家  非公開

▲河田氏 非公開

不動院

前垣家   非公開

瑞応院  中央の巨石(2.3m)が阿弥陀如来で、その周りに25菩薩と供の者がいる
  本庭は比叡山の山田恵諦大僧正と重森三玲先生の出会いによるものである。昭和9年の大風水害の折日吉川の上流から大きな岩が転がり落ちてきた。大僧正はこの石を何とか庭石にと思っていたが、何せ大きな巌ゆえ動かすことが出来なかった。その後歳月が20年余り経った昭和31年に重森先生が作庭することになった。テーマは、源信僧都が日相観により観得した「阿弥陀聖衆25菩薩来迎図」とした。この構想を大僧正は大変喜ばれたそうである。

増井家   非公開

岡本家   非公開

越智家   非公開

越智家   非公開
 手水鉢は鎌倉中期の宝篋(ほうきょう)印塔の笠部を倒さにして、立ったまま用いられる桃山期の様式

医光寺(雪舟寺)  重森による修理

▲田茂井氏@  非公開

臼杵家   非公開

都竹家  非公開

香里団地公園(以楽苑)  春秋の一般公開

大徳寺(瑞峯院)  

▲真如院
  特別公開のみ

林昌寺
青海波模様の躑躅と巨石が傾斜地に組まれている

▲山口氏庭園  非公開

志度寺   

桑村氏 非公開

東福寺・光明院 「雲嶺庭」

衣斐氏 非公開

四天王寺学園

教法院  事前許可制

興禅寺

光台院A

東福寺(龍吟庵)  龍が白雲、黒雲を左回りに上昇しているさま

北野美術館

貴船神社

住吉神社

浅野氏  非公開

常栄寺

中田氏  重森三玲らによる改修・復元  事前連絡

旧畑氏(現篠山観光ホテル)庭園

旧重森亭(吉田神社のただ一軒残った社家である)
日本庭園の復活ののろしは重森邸よりあがった

天籟庵
岡山県賀陽の自邸にあった茶室天籟庵の移築に伴い、新たに作られた茶庭。将に永遠のモダン

漢陽寺@  曲水の庭

漢陽寺A   蓬莱山の庭

漢陽寺B   地蔵遊戯の庭

漢陽寺C  九山八海の庭

久保氏  公開

▲田茂井氏A   公開

▲深森家  非公開

竹中氏  非公開

正眼寺  観音の出現により雲海に放射される無量光

東福寺(霊雲院)  [九山八海の庭]  背後の滝は龍門瀑

正覚寺  事前連絡の許可

東福寺(霊雲院) 「臥雲庭」

芦田家  非公開

小林氏  非公開

石像寺 古代より磐座信仰のある地に四神相応の庭を作られた
  手前より右回りに青竜(東の流水)、朱雀(南のくぼ地)、白虎(西の大道)、玄武(北の丘陵)を象徴 

豊国神社  春秋の一般公開

善能寺

岸本氏   非公開

▲泉涌寺・本坊   非公開

漢陽寺D   瀟湘八景の庭   非公開

漢陽寺E  玉澗流の庭

▲東口氏
   非公開

本休寺

▲八木家
  非公開

福智院 愛染庭

福智院  登仙庭

福智院  蓬莱遊仙庭

松尾大社完成寸前の「上古の庭」
  松尾大社背後の山には磐座があり、祭神は大山咋神、中津島神であることから「神々の庭」と言える
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